1980年代、セルティックスを3度の優勝に導いた「ラリー・バード」は実は苦労人だった。






 

1980年代、ボストン・セルティックスを3度の優勝に導いたラリー・バードはNBA入り前、苦労人だった。

 

 

得点やパス、リバウンドのセンスに優れ、正確な長距離シュートや試合の先を読む能力に秀でており、史上最高のスモールフォワードの一人ととし、現役時代に既に「伝説 (Legend)」の異名を与えられていた。

 

 

ラリーバードのスーパープレイ集

 

 


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間違いなくラリー・バードが、セルティックスを引っ張ていた。
1980年の最強のセルティックスは最強だったと思う。

 

 

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間違いなく、その中心にいたのはラリー・バードだ。
シーズンMVPも3度受賞している。

 

しかし、その華々しいNBAのキャリアとは裏腹に、NBAに入る前は非常に苦労をしていたようだ。

 




 

高校卒業後はインディアナ大学に進学したラリー・バード。
しかし、大学になじめず、一ヶ月たたないうちに大学を去り帰郷する事になる。

 

 

地元にいた1年間、町の清掃員として働き短大にも通ったらしい。

 

 

そして、バードが故郷にいた時、1975年に離婚していた父が自殺した。

 

 

そして、自身もこの時期に結婚し、離婚を経験したらしい。

 

 

その後、再び大学への進学を決心。
数多くの大学からスカウトが訪れたが、インディアナ州立大学に進むこととなった。
最初の1年は編入生だったためプレーしなかったが、2年生以降の3年間で平均30.3得点、13.3リバウンドを記録した。

 

 

大学2年のときにソフトボールで遊んでいて、右手の小指と人差し指を複雑骨折している。

 

バードの人差し指はボストンのトレーナーによると、“ハンマーで叩き潰されたようにグチャグチャ”であるという。
しかし、バードはシュートにおいて、大変なハンディを練習で克服した。

 

きっとこれは、彼の性格を物語るエピソードであり、あの美しい放物線を描くシュートもこの怪我と無縁ではないといわれている。

 

 

この骨折以来シュートタッチの感覚が元に戻ることはなかったと語っている。

 

 

最初の大学での挫折、そして、右手小指の大怪我。

 

 

おそらく、沢山の努力で克服してきたんだろう。

 






 

決して、他の平均的なNBA選手と比べて身体能力・運動能力に恵まれた選手ではなかった。
しかし、正確な技術とゲームの流れを読む能力に長けていた。
特に中距離・長距離シュート、リバウンド、パス(アシスト)の技術はリーグトップクラスだった。
リーグ屈指のスリーポイントシューターであり、肩にボールを担ぐような独特なフォームが特徴的だった。

 

 

そんなラリー・バードが1992年バルセロナオリンピックのドリームチームに選出された。

 

 

バルセロナオリンピック開催前の1991-1992シーズン、バードのは怪我に悩まされた。
背中の痛みは収まらず、出場は45試合。

 

 

そして、ドリームチームの一員としてバルセロナオリンピックに出場した後、バードは引退を発表、現役を去る事になったのだ。

 

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大学での挫折、そして怪我。

決して高くはない身体能力をきっと努力でカバーしてきた選手なんだと思う。

 

 

 

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