カール・マローンはNBA史上屈指のパワー・フォワードだった。
とにかく、ボールをゴールに入れる能力は高く、大学自体にはメールマン(郵便配達員)と記者にあだ名を付けられた。
通算得点記録は歴代2位。
ものすごい記録だ。
ただ、これは彼だけで打ち立てた記録ではなかったと思う。
ジョン・ストックトンと言う最高のチームメイトがあってのカールマローンの得点だった。
マローンの前年にジャズに参加していたジョン・ストックトンのアシストからマローンの得点というパターンがよく見られるようになり、1980年代から1990年代にかけてマローンが平均得点30点前後を記録するのに対し、ストックトンは毎年のようにリーグ最多の平均アシスト数を達成するようになった。
マローンとストックトンを結びつけて考え、二人はNBA史上屈指のコンビと呼ばれるようになる。
ストックトンからのアシストからマローンが得点すると言うパターンは本当に素晴らしく機能していた。
2人のコンビネーションは抜群だったと思う。
そして、マローンが19年もの長い間第一線で活躍できたのは、熱心なトレーニングによる強靭な体作りだ。
本当に怪我などでの欠場が少なく、最後のシーズンを除いた18年間でマローンが欠場したのは、たったの10試合。
正に鉄人であった。
そして、1992年には初代ドリームチームのメンバーとしてバルセロナオリンピックに出場。
1996年のアトランタオリンピックでも米国代表に選ばれ、どちらも金メダルを獲得。
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ユタ・ジャズの方はと言うと、ストックトン、マローンのコンビが抜群に機能し
1996-97シーズンには、プレイオフを勝ち抜き、ついにNBAファイナルに進出。
悲願の優勝まで目の前。
対戦相手は5度目の優勝を狙うシカゴ・ブルズ。
ジャズは初戦をマイケル・ジョーダンのブザービーターで失い、続く2戦目にも敗れた。
その後、2連勝したものの、5戦目はジョーダンにやられ2点差で落としてしまう。
6戦目もジョーダン率いるブルズに敗戦してしまいい、優勝を逃してしまった。
翌シーズン、ユタ・ジャズの成績は62勝20敗でシカゴ・ブルズと同率1位。
レギュラーシーズン中の両チームの対戦成績はユタの2勝0敗。
今度こそ、チャンピオンリングが見えてきた。
しかし、またしてもジョーダンとブルズの前に悲願は果たす事はできなかった。