
田臥勇太。
御存知の通り、日本人で初めてNBAプレイヤーとして
短い間ではあったがNBAのコートに立ったプレイヤーだ。
フェニックス・サンズとの契約が決まった際の記者会見の田臥。
この時は衝撃的だった。
まさか日本人がNBAプレイヤーになれるなんて思っていなかったからだ。
ここで、一気に、田臥は日本中の注目を集める事になるのだが
日本のバスケットボール業界で、彼は高校時代から、有名なプレイヤーだった。
ちなみに、高校時代の田臥は↑
今とは随分イメージが違いますね。
そして、下記、名門能代工業での田臥のプレイ。
当時から非常に飛び抜けたプレイヤーだった。
横浜生まれの田臥は、高校進学時に、バスケットボールの名門「秋田県立能代工業高等学校」に入学。
即スタメンとなり、そのプレイで世間を驚かせた。
3年連続で高校総体、国体、全国高校選抜の3大タイトルを制し、史上初の「9冠」を達成。
公式戦で敗れたのは、1年生の時の東北大会で仙台高校に敗れたわずか1回のみ。
全国高校選抜では3年連続でベスト5。
全国高校選抜では東京体育館に1万人の観客を動員。
さらには、高校生にして、全日本候補選手に選ばれたのだ。
当時は、まだ1990年代。
NBAでは多くのスタープレイヤーが活躍していたが日本バスケは、プロリーグもなく
まだまだ全然盛り上がっていなかった。
唯一、当時盛り上がっていたのは
漫画「スラムダンク」ぐらいだっただろう。
しかし田臥は、高校生にして、その飛び抜けたプレイで世間の注目を集められるプレイヤーだった。