マイケル・ジョーダンが1回目の引退を表明したのは1993年10月。
「自分の能力が頂点に達したらそれが衰える前に引退したかった」
「今がまさにその時なんだ」
引退の理由を彼はそう語った。
シカゴ・ブルズを3連覇に導いた直後の引退表明。
NBAでの3連覇達成によるモチベーションの低下などが理由として推測されていた。
そのニュースは日本へも届いたのを今も記憶している。
しかし、僕は、何か不可解な感じがした。
その後、突如として野球への転向を表明。
これもニュースになっていたのをよく覚えている。
シカゴ・ホワイトソックスのキャンプに参加していた。
もっともっとバスケットボールを続けて欲しいと思った。
しかし、ジョーダンは、この数ヶ月前に、父親を殺害され
その父と話したこと、子供の頃のもう一つの夢だった野球選手に挑戦していると解釈をし応援をした。
本人も
「最初の優勝の後に父親と約束した夢」
だと述べていた。
もちろん僕も、それは無理じゃないか?と思った。
でも、ジョーダンなら何かやってくれそうな気はした。
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もちろん、テレビでは、専門家が
「プロレベルの変化球を打つのは困難だろう」
とコメントをしたり、スポーツ誌のなかには
「ジョーダン、諦めろ」
と言う記事を掲載されたり。
普通に考えたらそうなんです。
しかし
万が一、バスケットボールで頂点を極めた男が
メジャーリーガーにもなれたら?
夢があると思いましたね。
もちろん、そんなに甘い話じゃないのはよくわかっていますが。
10年以上ぶりの野球、しかもジョーダンは、当時はピッチャーで、バッティング経験はあまりなかったと言う。
もちろん、成績残せるわけがない。
最終的にも127試合の出場で打率2割0分2厘・11エラー。
とても、メジャーリーグに昇格することは出来ない成績だった。
しかしジョーダンは他の選手たちに混じりバスで遠征先を周り
朝からバッティング練習を行っていた。
そして、徐々に、直球に対応し、変化球にも対応を見せ
ホームランを打つなど徐々に成績が上向いていた。
数年続ければメジャーリーグに昇格する可能性もある
と言う声もあがった。
しかし、1994年。
MLBストライキが起き、翌年になっても事態は進展せず
ホワイトソックス球団は状況を打開するため
選手にオープン戦に出場するよう求め、従わない場合は施設の利用を拒否。
球団社長はジョーダンにはこの処置を適用しないと言っていたが
球団関係者は約束を反故にしようとしたため、ジョーダンとの関係が悪化。
ジョーダンはこの件について
「面倒事に巻き込まれたくなかった」
とコメントをしている。
そして、この件はジョーダンがブルズに復帰する一つの契機になった。
仮にこう言う事がなかったらジョーダンはメジャーリーガーを
目指すために野球を続けたいたのだろうか?
「もしも」はない。
でも、きっと、夢を掴んでいたんじゃないかと僕は思う。
そして、バスケットボールプレイヤー「マイケル・ジョーダン」の第二章がここから始まったのだ。
野球をやっているジョーダンも沢山の人が応援していた。
でも、ジョーダンがNBAに戻ってきてくれた時は、もっとたくさんの人が喜んでくれていたはずだ。
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