シカゴ・ブルズの黄金期の中でも1996年シーズン最強ブルズを支えた選手達

1996年~1998年シカゴ・ブルズは2回目の3連覇を成し遂げた。

 

その中でも1996年のブルズはシーズン72勝10敗と言う脅威の強さを見せた。

 

 


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もちろん、ジョーダン、ピッペン、ロッドマンの活躍は素晴らしかった。

 

ただ、バスケットボールは、コートにいる5人。
そして、控えメンバー。
ヘッドコーチも含めてやる競技。

 

当時のメンバーを振り返ってみよう。

 

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マイケル・ジョーダン
まあ、1番に名前が出るのはジョーダンですよね。

 

ちなみに、ジョーダンが使用していた背番号「23」はブルズの永久欠番になっています。

 


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続いては、やっぱりこの人。

 


スコッティ・ピッペン
史上最高のオールラウンダー。
この人がいたからジョーダンが輝いたと僕は思っています。
ピッペンが使用していた背番号「33」もブルズの永久欠番となっています。

 


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デニス・ロッドマン
天才リバウンダーとして7年連続リバウンド王に君臨。
1995年にスパーズからトレードでブルズの一員に。

 

スラムダンクの桜木花道のモデルとも言われている。

 



 

ロン・ハーパー

1993-94シーズンの開幕前にジョーダン引退を発表した為
ジョーダンの代わりのシューティング・ガードとして獲得。

 

入団当初は、膝の怪我などもあり控えとしてプレイする事が多かったが
ジョーダン復帰後はポイント・ガードとしてポジションを変えて
スターターとして定着した。
非常に、ディフェンスの上手な選手だった。

 

 


トニー・クーコッチ
クロアチア出身の最強のシックスマン。
主にピッペン、ロッドマン控えとしてプレー。

 

長身ながらもアウトサイドシュートやパスを得意とし1995-96シーズンには
スターターのジョーダン、ピッペンに次ぐ得点をあげ「シックスマン賞」を受賞した。

 

 


スティーブ・カー
控えのガードとして活躍。
身体能力は、高くはなかったが、ここぞという時に
アウトサイドからのシュートを決められる勝負強さを持っていた。

 

1996-1997シーズンには、スリーポイントコンテストで優勝。

ルーク・ロングリー
オーストラリア出身のセンタープレイヤー。
その巨漢を生かしてブルズのスターターに定着。

 

目立ちはしなかったですが、アウトサイドを起点する
ブルズの柱となっていたプレイヤー。

 

 


ランディ・ブラウン
主に控えのポイント・ガードとして活躍。
得点力は、低かったが、ディフェンスは上手な選手だった。

 

2015年からは、ブルズのアシスタント・コーチに就任。

 

 


ビル・ウェニントン
カナダ出身の控えセンター。

 

ミドルレンジからのシュートも上手なセンタープレイヤーでした。

 

 


ジェイソン・キャフィー
控えとプレイ。
ちなみに、キャフィーは最低でも10人子供がいて
8人の異なる妻がいると言う話が・・・

 

どうなっているんでしょう?

ジュド・ブシュラー
控えとプレイ。
ディフェンスとアウトサイド・シュートが上手な選手でした。

 


ディッキー・シンプキンズ
控え選手ではありましたが3個のチャンピオン・リングを獲得。

 


ジェイムス・エドワーズ
出場機会は、あまりなかった。
また、在籍時に40歳にもなり1996年をファイナルを最後に引退。

 

NBA在籍時には、8チームを渡り歩いた。