
80年代から90年代にかけて、バスケットブームの火付け役になった男がいた。
世界のスーパースター「マイケル・ジョーダン」
野球のベーブルース、サッカーのペレやマラドーナ。
そして、バスケットボールのマイケル・ジョーダン。
数々の伝説を残したスーパースターの話を今回はしてみたいと思います。
マイケル・ジョーダンのプレイスタイルの変化「NBAデビュー初期」
マイケル・ジョーダンと言えば、その跳躍力・長い滞空時間。
彼には、重力なんてなかったんです。
NBAデビュー当時のジョーダンは、その跳躍力を活かした長い滞空時間が武器でした。
当時のシューティングガードには珍しくインサイドに切り込むオフェンスを得意とし、激しいダンクショットを決めたり、ダブルクラッチでブロックを交わしたりなど、観客を沸かせるプレイが代名詞でもありました。
しかし、バスケットボールはチーム競技。
当時のシカゴ・ブルズは決して強豪ではなく、ジョーダンのワンンマンチームのようになってしまうのです。
自然と、ジョーダンを中心として得点を重ねるシーンが増え、ジョーダンが「セルフィッシュな選手」と言われるようになってしまうのです。
セルフィッシュに見えたのは、こうしたチーム状況も影響していたのは間違いないでしょう。
また更に、NBAの先輩たちからすれば決して面白い存在ではなく、パスを回してもらえない(フリーズアウト)など苦労したエピソードもあるくらいです。
1990-92最初のスリーピート達成
シカゴ・ブルズが1990から1992シーズンで三連覇を達成しました。
「ジョーダンが三連覇に導いた」
と思われがちですが、決してそうではないと思います。
スコティ・ピッペンやホーレス・グラントなど若手が成長しチーム力が増し、フィル・ジャクソンHCの徹底したチームプレイの方針が大きいと思います。
特に、フィル・ジャクソンHCの代名詞
「トライアングルオフェンス」
を徹底させる事により、ワンマンプレイから、周りを活かすプレイスタイルに変化し、ジョーダンの才能は更に開花をし、最強シカゴ・ブルズが誕生したんです。
また、この時、シカゴ・ブルズは当時シーズン最多の67勝(91-92シーズン)を達成しました。
突然の現役引退。そして、2年後の現役復帰後
ジョーダンは、3連覇達成後、父親の死別もあり突然の現役引退を発表。
しかしMLBのグラウンドに立つことはできず、惜しくも下部組織止まりでした。
そして、2年後。
再びNBAのコートにジョーダンは戻ってくるのです。
年齢を重ね、プレイスタイルも以前とは変化をします。
以前のような豪快なスラムダンカーではなく、テクニックを重視したジャンプシュート。
ディフェンスからの距離を離しながら放たれるフェイドアウェイなどを駆使し得点を重ねます。
また、味方を活かすプレイも明らかに増えました。
これは、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマンなど、信頼できるチームメイト、そして、フィル・ジャクソンHCの戦略があったからこそだと思います。
そして、また、最強ブルズが戻ってきます。
1995-96シーズンは72勝を達成。
このシーズンから再びスリーピート(3連覇)を達成しました。
記録から見るマイケル・ジョーダン
マイケル・ジョーダンは、3連覇を2回、合計6度の優勝、年間MVPを5回、得点王10回など、凄まじい記録を残しています。
中でも引退をしてから現役復帰し、再び3連覇を達成させたエピソードは、他に類を見ないものになっています。
万が一、ジョーダンがMLBへ挑戦をしなかったら、シカゴ・ブルズは8連覇を成し遂げていたんじゃないか?
なんて、ファンの間では語り草になっているぐらいです。
現役引退後もNBAの世界で活躍中
マイケル・ジョーダンは現在、選手としてではなく、球団オーナーとしてNBAに関わっています。
チームは、自身の所属したブルズ、ウィザーズではなくシャーロット・ホーネッツ。
ちなみに、元選手がオーナーになるのはジョーダンが初めてとの事。
NBAを愛し、選手を引退してもNBAに関わり続けるってのは素晴らしいですよね。
マイケル・ジョーダンはゴルフが大好き
マイケル・ジョーダンはゴルフ愛好家として有名です。
ジョーダンがラジオ番組に出演した際、オバマ大統領のゴルフの腕前を「あまり上手くない」とコメントしました。
すると、それを聞いたオバマ大統領が数日後に別のラジオ番組で「ジョーダンはNBAで開幕から調子があがらないオーナーを務める、自分のチームを心配すべきだ」と発言したようです。
大統領と公共の電波を使ってゴルフの件で言い合いをするとは・・・スケールのデカさを感じますね。
関連商品