1980年代ロサンゼルス・レイカーズを率いたのはポイントガード「マジック・ジョンソン」
そして、90年台に入って、マジック・ジョンソンが引退。
その後、ロサンゼルス・レイカーズの司令塔となったのが、コービー・ブライアントなどからも絶対的信頼を寄せていたデレク・フィッシャー。
なぜ彼はそんなにも信頼の厚い選手だったのか?
今回はそれについて書いてみようと思います。
しっかりと役割をこなしチームに尽くす男
1996年にドラフトでレイカーズから1巡目指名を受け入団。
当初目立つプレイもせずとりわけ特徴的でもなかったため、控えのロールプレイヤーの役割を担っていた。
ただ彼はきっちりとチームの仕事をこなす有能な控えだった。
数字への欲は無く、決めるとこで決め、ディフェンスで相手を抑え、重要な場面で確実に成果を出す。
コートに立てばチームメイトを活かすプレイをし、的確な指示を出す様はまさにコート上のHCと言っても過言ではないような選手であった。
コービーとの相性は抜群!優勝を5度経験するベテランポイントガード
なんといってもフィッシャーはあのコービーが最も信頼を置いたポイントガードなのである。
レイカーズがフィッシャーを2度目の放出をすると知った時はフロントに怒りを表すほどであった。
当時のフィッシャーは数字以外の場所で仕事をこなすチームの核のような存在だった。
あの威圧感のあるコービーと対等に指示を出しあったポイントガードは彼ぐらいなのではないか。
その上、重要な局面での勝負強さはコービーにも負けないほどであった。
特に2003-4のプレイオフカンファレンスセミファイナルの第5戦、スパーズとの接戦で決めた
「0.4秒ブザービート」
これは有名だろう。
さらにプレイオフでの3ポイントシュート成功率はほぼ4割を超えるほど。
彼無しではレイカーズ5度の優勝はなかったかもしれない。
デレク・フィッシャー引退後の生活は?
現役引退後はニューヨーク・ニックスにHCをするも振るわず、2年で解雇されてしまう。
その後2018年にはWNBAのロサンゼルス・スパークスのHCへ就任し現在に至る。
また私生活では離婚報道などで度々世間を騒がせ、2018年には元チームメイトのマット・バーンズの元妻と自身3度目の婚約をした。
コーチとして活動する傍、テレビでNBAの解説やコメンテーターを務めることもあるため今後もバスケに関わる仕事を続けていくことだろう。
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