小柄ながら非常にリーチが長く、人気実力共にNBAの顔だったアレン・アイバーソン。
歴代ポイントガードの中でも最もパフォーマンス性が高く人気も高かった。
そんなアレン・アイバーソンの引退までについて書いてみようと思う。
2010-11シーズンの中にトルコリーグへの電撃移籍
フィラデルフィア・セブンティーシクサーズ以降ピストンズやグリズリーズで控えプレイヤーに回され、それに不満を持つような形でチームを去った彼はなんと
トルコリーグのチーム「ベシクタシュ」
へと渡った。
契約金はなんと1億7600万円!
当時金銭的にも苦しいと噂されていたが、その憶測も濃厚になった。
トルコでも全く振るわなかったアイバーソン
アレン・アイバーソンが移籍した「ベシクタシュ」は名門からは程遠く、人気のないチームだった。
そこでHCは
「10年前よりは劣るが今でもトルコリーグでトップ選手になれるだろう」
と考え巨額の費用をアイバーソンにつぎ込む。
しかし彼の出場時間は大体20分程度、当時
「練習でもシュートを決められなかったが徐々にに良くなっている」
と語っていたHCだが、ユーロカップの3試合ではフィールドゴール成功率37%平均9.3得点3.0アシストで1勝2敗。
トルコリーグの試合に7試合出場でフィールドゴール成功率43.8%平均14.3得点4.7アシストで3勝4敗。
どちらも悪い結果で終わってしまう。
その後HCは解雇されアイバーソンはケガをし、その手術のためにアメリカへ戻ったがその後トルコへ戻ることはなかった。
NBA復帰を目指すが夢は叶わずそのまま引退へ
NBAに復帰するべくアメリカ帰国後はコンディション調整を始めたが、トラブルメーカーで控え嫌いな当時35歳のアイバーソンを欲しがるチームはいなかった。
彼はメディアでよく
「チームの望むプレイをし、そのチームに貢献したい」
と語っていたが、トルコでさえ不評だった彼に誰も興味を持たなかった。
そして2013年10月30日に正式な引退を表明し、翌年にはフィラデルフィア・セブンティシクサーズが彼の背番号「3」を永久欠番にすることを決定。
こうして伝説のポイントガードは自分のバスケ人生に幕を閉じたのだった。
彼の独創的なプレイは多くのファンを魅了していたし、それに間違いはない。
無念の引退を迎えた彼だが、今後も彼の伝説は語り継がれることだろう。
現在ではリタイア生活を家族と幸せに過ごしつつ、子供たちのためにバスケットボールキャンプを開き指導者として活動しているとのこと。
また最近はセブンティーシクサーズがプレイオフに進出したため頻繁に試合を観に来ている。
当時若くしてセブンティーシクサーズで大活躍した彼が、現在は若手中心のセブンティーシクサーズの勝利に喜ぶ姿を見るのはなんだか不思議な感覚である。
日本ではあまり知られていないが、ラッパーのアイスキューブが立ち上げた
「BIG3」という3on3のリーグ
と言うリーグに出場もしているらしい。
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