いよいよ迫ってきているNBAドラフト。
今年、2019年は八村塁選手が上位指名されると話題になっています。
田臥勇太選手、渡辺雄太選手に続く日本人NBAプレイヤーが誕生します。
「日本人がNBAドラフトで指名されるなんて!」
と話題になっていますが
1981年に日本人初NBAでドラフト指名された日本人選手がいたのをご存知ですか?
本日は、そんな話をしたいと思います。
1981年に日本人初NBAでドラフト指名された日本人選手とは?
1981年のNBAドラフト。
ゴールデンステート・ウォリアーズがドラフト8巡の10番目で指名をしたのはなんと日本人選手。
その選手は当時の日本不動のセンター
岡山恭崇選手
なんと身長230センチ!
NBAプレイヤーに負けない体格の持ち主で、日本リーグで得点王、敢闘賞の多くのタイトルを獲得していたそうです。
1979年から8年間、日本代表の中心的な選手としても活躍しいました。
なんと、この「岡山恭崇」選手。
中学高校は柔道選手で2段を取得したほどの腕前だったとか。
高校卒業時には、いくつかの大学から柔道選手としてスカウトされてたようですが、岡山恭崇選手が選んだのは、高校まで経験のないバスケットボール。
なんと、大学生でバスケットボールを始めるたんです。
その後社会人リーグで新人王を獲得するなどの活躍。
なんと、バスケットボールを始めて5年目にして日本代表入りをしたそうです。
そして、社会人リーグに入ってから2年後にNBAのドラフトにかけられ、ウォリアーズから指名を受けたんです。
NBA入りを断る。その真相は?
NBAからドラフト指名を受けたにもかかわらず、なんと、NBA入りを断ってしまいます。
なぜ!?
これには真相があります。
岡山恭崇選手は、NBAよりも、オリンピックが諦められなかったんです。
当時、プロ選手のオリンピック出場は認めていませんでした。
1984年ロサンゼルスオリンピックの出場を目指していたため、オリンピック出場の為にNBA入りを拒否したんです。
プロの選手の参加が認められたのは1992年。
マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン等のスタープレイヤーを要するドリームチームが活躍し盛り上がったオリンピックです。
これ以前のドラフトだったため、岡山恭崇選手は、NBA入りよりもオリンピックを選び、オリンピックに出場したんですね。
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「岡山恭崇」選手のNBA入りは幻で終わった
結果的に、日本人初のNBAプレイヤーにはなりませんでしたが、その体格は規格外。
この映像の一番大きい選手が「岡山恭崇」選手です。
さすが、身長230センチです。
「岡山恭崇」選手のNBA入りは幻で終わった
1990年に現役を引退。
その後、アメリカでのコーチ研修を経て1993年から1995年まで住友金属アシスタントコーチ。
1996年から1999年まで母校である大阪商業大学アシスタントコーチを務めたようです。
もしもはありませんが、当時、オリンピックにプロの選手が出場できていたら、日本人初のNBAプレイヤーになっていたかもしれませんね。