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レイ・アレン、ケビン・ガーネットと共にボストン・セルティックスでビッグ3を結成した2008年。
その1人として知られ優勝に貢献したポール・ピアース(Paul Anthony Pierce)。
彼は、いったいどんな選手だったのだのか?
今回は、そちらに迫ってみたいと思う。
実はボストン嫌いだった!?
カンザス大からドラフトにエントリーしたピアースは上位3位を期待される選手だった。
しかし、予想は外れ10位指名で彼の最も嫌いなチームであったボストン・セルティックスに入団することになってしまった。
彼は幼い頃からロサンゼルス・レイカーズファンであり、そのライバルであったセルティックスを嫌っていたのである。
また、ドラフト順位が、10位まで順位が落ちてしまった要因として、ドラフト前のピアースに対する評価が高く、それに本人が気分を良くして
「SGではなくSFでプレーしたい」
「サクラメントとトロントには行きたくない」
などと発言し
スカウト陣の印象を悪くしたのではないか?
と言われているようです。
それでもルーキーイヤーは奮闘しシーズン平均16.5得点6.4リバウンド2.4アシストの好記録を残し存在感を示しました。
ポール・ピアースのプレイスタイルは?
若い頃は機動力を活かしたドライブでゴールに切れ込む動きや激しいダンクで会場を沸かしていた。
それに加えて正確なジャンプショットも得意としていたため、オールラウンドに活躍できる有能な選手だった。
もっとも評判が良かったのは性格面である。
それだけ動ける選手でありながら自我を抑えつつ、勝利に対しては貪欲にプレイすることができチームに調和をもたらした。
その基本に忠実なプレイスタイルから、彼は
「The Truth(真のプレイヤーの意)」
と呼ばれた。
受賞歴は?ピアースの主な活躍
経歴を通して数々の賞を獲得したピアース。
その経歴を見てみよう。
NBAチャンピオン : 2008
ファイナルMVP : 2008
オールルーキー1stチーム:1999
オールスターゲーム出場: 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012
オールNBA2ndチーム : 2009
オールNBA3rdチーム:2002, 2003, 2008
シーズン最多総得点:2002 (2144得点)
スリーポイントシュートアウト優勝 : 2010
19シーズンを通してこれだけの賞を獲得しているのだからどれだけ活躍したかが想像できるだろう。
彼の背番号34は2017年にセルティックスの永久欠番になっている。
刺傷事件!?
ポール・ピアースは3シーズン目の目前2000年9月25日、ロサンゼルスのナイトクラブにて暴漢に襲われ瀕死の重傷を負うという悲惨な事件に巻き込まれた。
ガラスの瓶で頭を殴られ、顔、首、背中など全身11ヶ所を刺されるなどして病院に運ばれ、緊急手術を受けたようです。
肋骨に受けた刺し傷は肺までわずか1インチ足らずのところまで達していたと言う話なので、ギリギリ命拾いをしたと言う状況。
しかし、なんと、そのわずか3日後に退院。
1ヵ月後の開幕戦に復帰を間に合わせたんです。
しかも、そのシーズンは、チーム唯一の、全82試合に先発出場をすると言う鉄人っぷりで世間を驚かせました。
プレイヤーとしても、すごいですが、人間としてもとても生命力の強い選手だったんですね。
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