マーベリックス、サンズで活躍した数少ないカナダ人選手の1人であるスティーブ・ナッシュ(Stephen John Nash)。
イングランド人の父とウェールズ人の母の間で生まれた。
プロサッカー選手としての父親の仕事の都合で誕生の地は南アフリカ共和国だったらしい。
その後、家族はカナダに移住。
少年時代はサッカーとアイスホッケーとバスケットボールに熱中し、どの競技でも活躍をしていたらしい。
今回はそんな、彼の才能とNBAでの活躍について話したいと思います。
カナダ人で最も活躍した選手!
1996年のドラフトでカナダ人として当時歴代最高の15位でフェニックス・サンズに指名されていこう、彼のカナダ人としての活躍は世界に知れ渡った。
1998年にダラス・マーベリックスへ移籍しダーク・ノビツキーとタッグを組んでからはダラスをプレイオフ常連のチームへと成長させた。
天性のパスセンスと正確なアウトサイドシュートを持ち合わせ、得点とアシストのダブルダブルを量産しシーズンを通して40%を軽く超える3ポイントシュート成功率誇った。
古巣サンズでの黄金時代
2004年に古巣サンズへ復帰すると、そこでも彼のポイントガードとしての力を存分に発揮した。
また、この年は、日本人初のNBAプレイヤーとなった田臥勇太とチームメイトだった。
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高いシュート成功率とアシスト数を記録し司令塔として高いバスケットボールIQを見せつけたナッシュは、前年29勝53敗となっていたサンズを完璧にまとめあげチームを62勝20敗まで引き伸ばす。
チームのシーズン平均得点も94.2得点から110.4得点まで引き上げ、個人成績も15.5得点11.5アシストFG成功率50.2%3P成功率43.1%という素晴らしい結果を残した。
そしてこの年は自身初のオールNBA1stチームに選出され、カナダ人初、外国選手史上3人目のシーズンMVPに選ばれる快挙を成し遂げる。
チャンピオンリングを獲得する事はできず引退へ
その後サンズは何度もプレイオフに進出し何度も優勝のチャンスが巡ってくるが、ついにナッシュ在籍時にそのチャンスを掴むことはできなかった。
2012年にドワイト・ハワードと共にコービーのいるレイカーズへ移籍した時にはすでに38歳、ラストチャンスとなったがプレイオフ1回戦で敗退。
その後怪我に苦しんだナッシュは2015年3月21日で引退を表明した。
記録で見るスティーブ・ナッシュ
ナッシュは沢山の記録を残しているんです。
その一部を紹介したいと思います。
ナッシュはキャリア通算10,335アシスト
この数字を上回るのはジョン・ストックトンとジェイソン・キッドにつぐ歴代3位。
「50-40-90」も達成。
フィールドゴール成功率50%以上、3ポイント成功率40%以上、フリースロー成功率90%以上をシーズン平均で記録すること。
トップクラスシューターの証ともいえる極めて達成困難なスタッツで、過去にこれをクリアした選手は、ナッシュを含め6人しかいません。
フリースロー成功率90%以上!
18年のキャリアで3060本のフリースローを決めている。
ちなみに、フリースローを放った数は3384本・
90%以上のフリースローを成功させているのだ。
これはNBA史上最高の成功率である。
引退後の活動は?私生活は?
引退したその年にウォリアーズの非常勤の選手育成コーチとして在籍し、チャンピオンリングを手に入れることができた。
また2018年3月31日には殿堂入りとなり歴代レジェンドの仲間入りを果たした。
私生活では父親が元プロサッカー選手でナッシュ自身学生時代にサッカーの才能も見せていたこともあり、現役の頃から毎年オフになるとサッカーをしていた。
引退後にプロサッカー選手のトライアウトも受け、プロにこそなれなかったが38歳にしてその運動能力の高さに人々は驚いた。
現在ではインスタグラムに多々サッカー動画などを投稿しているため、すぐにでも彼のセンスを見ることができるだろう。