皆さん、パトリック・ユーイングがスラムダンクに出てくる湘北高校の赤城のモデルになったことはご存知でしょうか?
ライバルのセンタープレイヤー、魚住純のモデルと言う説もありますが、どちらのキャラクターにせよ、角刈りヘアーにゴリラのように筋肉隆々の肉体、ゴール下での支配力…まさにパトリック・ユーイングそのまんまの姿ですね。
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そんなユーイングについてご紹介します。
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ゴール下で忠実なプレイをこなす純粋なセンター
上記でも述べた通り、わかる人には伝わると思いますが、スラムダンクの赤城、魚住のようなプレイをします。
ユーイングは大学時代にはもともとディフェンスに長けた選手でリバウンド、ブロックを得意とします。
しかし徐々にオフェンスの技術も覚え、NBAではリーグ屈指の得点力も誇っていました。
赤城、魚住と違う点は、ゴール下でのタンクやシュートだけでなく中距離からのシュートも上手で攻撃パターンが多かったことです。
またフリースローも上手かったためバスケットカウントなどファウルを誘い得点を量産していました。
多くのライバルたちに優勝を拒まれてしまう無冠の偉人
そんな彼でも優勝の道のりは厳しいものでした。
ラリー・バード率いるボストンやマジック・ジョンソンのレイカーズ、アキーム・オラジュワンやデビット・ロビンソンを中心としたロケッツとスパーズ、そしてマイケル・ジョーダン率いるブルズ…
当時のNBAはまさに群雄割拠の時代。
プレイオフを勝ち上がるのさえ容易ではなかったのです。
ブルズが1回目の3連覇を果たした3シーズン全てでニックスはブルズにプレイオフで敗れており、初めてファイナルの舞台に立った1994年もオラジュワン率いるロケッツに破れてしまいます。
ロックアウトでシーズンが短縮した1998-99シーズンではNBA史上初の第8シードからファイナル進出までたどり着いたものの、ユーイングは足の怪我をしてしまいニックスはスパーズに負けまたも優勝を逃します。
引退後は指揮官として指導に当たる
引退後は主にコーチングの職に回り、アシスタントコーチやヤオ・ミン、ドワイト・ハワードらセンターの指導を務め、現在は母校ジョージタウン大学でヘッドコーチを務めています。
見かけによらず優しい性格を持ち、学生たちなどの若手選手に対し熱心な指導を行うパトリック・ユーイング。
彼の優しさは筋金入りで、大学の後輩であったアロンゾ・モーニングの腎臓疾患が判明した際には自身の腎臓を提供することに名乗りでていたそうです。
彼はバスケットボール選手としてもひとりの男としても、素晴らしい人間性を持つ偉大な人物ですね。
【文:Kenshin】
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