グレッグ・オデンはニューヨーク州バッファロー出身の元バスケットボール選手。
ポジションはセンター。
彼で思い出すのは花の2003年組以来の大豊作と言われた2007年のドラフト1位指名であったことだ。
大きな期待を背負いNBA入りしたオデンだったがそのキャリアは決して順風満帆なものではなかった。
オデンがどのようなキャリアを歩み引退し、現在何をしているか調べてみた。
ビル・ラッセルの再来といわれた逸材がNBA入りするまで
オデンは5歳からバスケットボールを始め、高校時代にマイク・コンリーとチームメイトになる。
オデンとコンリー擁するローレンスノース高校はインディアナ州を代表する強豪校となり2004年から3年連続同州のチャンピオンとなる。(アメリカの高校は全国大会がなく州大会がそれに該当する)
ここでオデンはネススミス賞など数々の個人賞も総なめにする。
高校卒業時にNBAにアーリーエントリーを希望していたが、この年から高校生のアーリーエントリーが不可能となり、コンリーとともにオハイオ州立大学に進学。
大学時は肩のけがで万全ではなかったが、15.7得点9.6リバウンド3.3ブロックのアベレージを残し新人王と最優秀守備選手賞を獲得。
NCAAトーナメントでは決勝で惜しくもフロリダ大学に敗れてしまったが、このころから類まれな守備能力から
「ビル・ラッセルの再来」
と噂されるようになる。
そして、進級はせず2007年のドラフトにアーリーエントリーし前評判通り全体1位でブレイザーズに指名さたのである。
2007年のドラフト同期はスターばかり!?
この年のドラフトは前年に高校生のアーリーエントリーが規制されたことにより大豊作といわれた年であった。
そんな中ドラフト1位の栄誉に授かったオデンは素晴らしいが他にどんな選手がいたのだろう。
2位 ケビン・デュラント
3位 アルホー・フォード
4位 マイク・コンリー
5位 ジェフ・グリーン
9位ジョアキム・ノア
18位マルコベリ・ネリ
23位ウィルソン・チャンドラー
35位グレン・デイビス
48位マルク・ガソル
ガソルの43位は意外!
スター選手から曲者タイプまで今もベテランとして活躍する選手がたくさんいる。
けがに苦しむ現役生活
大きな期待を背負ったオデンであったが開幕前の検査で右ひざに損傷が見つかる。
回復に時間がかかるマイクロフラクチャー手術を行ったため1年目は全休することになる。
2年目は開幕から先発出場を果たし、観客から喝采をあび期待の高さを窺い知れた。
しかしオデンはこのシーズンもケガに苦しみ21試合を欠場、調整不足によるスタミナ不足やファウルトラブルに苦しみ出場時間が限られてしまい完全な期待外れに終わる。
3年目は開幕から21試合連続出場し、スタッツも向上したが、今度は左ひざの骨折によりそのままシーズンを全休することになる。
翌年もケガが好転することなく全休、2011-2012シーズンも復帰のめどが立たずついにブレイザーズから解雇された。
翌年マイアミヒートとミニマム契約を結び4シーズンぶりに復帰を果たすが相変わらずケガに苦しみシーズン終了後に解雇された。
現役引退とその後のオデン
その後中国のリーグでプレイしていたが、2016年苦難続きの現役生活に区切りをつけ引退を決断する。
現在は母校オハイオ州立大学で勉強をしながら同校のアシスタントコーチをしており
「これからも自分の人生を見極めていく。自分は小学生の頃からプレーしてきたバスケットボールしか知らない。己を正しながら学位を取り、家族の将来に役立てるようにしていく」
と語っている。
ブレイザーズの悲劇
ブレイザーズは過去にもドラフト1位の指名した選手がケガで活躍せぬまま引退するという悲劇に見舞われている。
サム・ブーイである。
ジョーダンをはじめ、史上最高の大豊作と呼ばれる1984年のNBAドラフト。
その年のドラフト2位で指名されたサム・ブーイなのだ。
ちなみに、マイケル・ジョーダンはドラフト3位。
ジョーダンの指名を見送り逃したことは今でもファンの心に残っている。
今度こそはとオデンを指名したが再びケガに泣かされることとなる。
もしオデンではなくデュラントを指名していたら西の勢力図も現在とは違っていたかも??
【文:サイフラップマン】