
昔からのバスケット好きには欠かせない人物がいます。
1人は折茂武彦、今季で現役を引退するプレイヤー。
そして佐古賢一、現在日本代表のACコーチとして活躍していますが、現役時代はドラマが出来るほどエースとして活躍した選手です。
そしてもう一人PGとして佐古賢一、折茂武彦と共に日本代表を支え、現在も日本バスケット界に貢献している長谷川誠です。
長谷川誠の選手引退後のセカンドキャリアは、佐古賢一と共にバスケット界を支える道でした。
長谷川誠のセカンドキャリアについて紹介します。
また、TVで1位となった輝かしい実績も紹介します。
長谷川誠とは?
長谷川誠と言われても知らない人がいると思いますので紹介します。
簡単に説明すると、バスケットの解説やテレビ、コーチとしてよく見かける髭のおじさんです。
長谷川誠は知らないけど、髭の人は知っているという人も多いのではないでしょうか。
詳しく紹介します。
1971年生まれの48歳。
佐古賢一、折茂武彦とほとんど年齢は変わりなく、一緒に日本代表を支えてきました。
ポジションはPG。
名門能代工業で、田伏勇太の先輩です。
日本代表時代一緒にプレイしたこともあります。
身長が186㎝ですので、その当時では背の高いPGではなかったのでしょうか。
(ちなみに2018-19シーズンMVPの富樫勇樹は167㎝です)
5歳からバスケットをはじめ、能代工業時代まさかのCからPGへ転向しています。
それもすごい話です。
高校、大学とタイトルを取り続け、1994年松下電器入団後1997年日本人初のプロバスケットボール選手となります。
現在のBリーグはプロチームですから、はじまりは長谷川誠ということになります。
2000年にアメリカで1年プレイし、帰国後も活躍します。
2010年新しく設立された秋田ノーザンハピネッツのHCとして契約しますが、現役選手として残りたいことから、bjリーグ史上初のプレイングマネージャーが誕生します。
野球でいうと、元ヤクルトの古田敦也のようですね。
しかし、怪我もあり、2012-2013シーズンで現役を引退します。
現役時代は、タイトルはもちろん日本代表として人気の高かったことは言うまででもありません。
長谷川誠のセカンドキャリア
引退後は、秋田ノーザンハピネッツのテクニカルディレクターに就任し、チーム編成とフロント業務、3×3の推進室専門委員にも入り、バスケット界に貢献します。
そしてBリーグ発足、HCとして指揮をとりますが2016-2017シーズンB2降格の責任をとって辞任します。
その後は、3×3のコーチや解説など幅広い活躍をしています。
秋田ノーザンハピネッツといえば、ディフェンスの強さとファンの熱気です。
能代工業があることもあり、年齢問わず、子供から年配の人までアリーナに通います。
バスケット大国として人気の高い秋田県のヒーローは、長谷川誠からはじまったといっても過言ではありません。
まだある長谷川誠の伝説
日本バスケット界の数々の記録を作った長谷川誠は、今後若者の育成や3×3に力を入れていくと思われます。
しかし、ファンが見たいのは日本代表コーチに長谷川誠と佐古賢一が並んでいることではないでしょうか。
来年の日本で開催されるオリンピックで、折茂武彦も含め共演があるかもしれません。
また長谷川誠は、バスケット界以外での記録を作っています。
1つは、初の引退試合をしたことです。
2014年、長谷川フレンズ(長谷川誠の仲良し)VS母校能代工業と試合をしています。
その当時低迷していた能代工業を育成する目的もあったようですが、なんと長谷川フレンズが72対61で勝っています。
まだ、負けていられないといったとこでしょう。
2つ目は、1996年正月に放送された『最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦』で池谷幸雄を破り1位になっています。
バスケット以外にも記録を作っていた長谷川誠に今後も注目したいです。