ベン・ウォレスとラシード・ウォレス。2003-04シーズンのデトロイト・ピストンズをNBAチャンピオンに導いたダブル・ウォレス

NBAに限らず、アスリートには個性があり、そして、愛される選手がいると思います。

また、愛されず「ヒール」になる場合もありますが、そうなるには、それだけの実力や個性があるんだと思います。

 

今回は、2003-04シーズンにデトロイト・ピストンズでNBAチャンピオンに輝いたベン・ウォレスとラシード・ウォレス。

味方であれば、心強く、敵だったら嫌な2人のプレイヤーについて書きたいと思います。

 

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2003-04シーズンにNBAチャンピオンとなったツインタワー

2003-04シーズン、カーライルに代わり、殿堂入りを果たしている名コーチ、ラリー・ブラウンが指揮をとったデトロイト・ピストンズ。

ラリー・ブラウンが掲げたスタイルは

「チーム・バスケット」

 

この時期のデトロイト・ピストンズはNBAトップクラスのディフェンス力を最大の武器に快進撃を続けたのです。

 

そんなデトロイト・ピストンズにシーズン途中に加入したのがラシード・ウォレスです。

これにより、チームがさらにパワーアップしたのは間違いありません。

結果、NBAファイナルでは、シャキール・オニール、コービー・ブライアントを要するロサンゼルス・レイカーズを4勝1敗で破りNBAチャンピオンになったのです。

 

このNBAチャンピオンには大きな意味がありました。

 

まず、就任1年目にして初のNBAチャンピオンに輝いたラリー・ブラウン。

彼はNCAAとNBAのタイトルを持つ史上ただ1人のヘッドコーチとなりました。

 

また、ロサンゼルス・レイカーズは、この敗戦を機に、シャキール・オニールとコービー・ブライアントと言う2000年代最強のコンビが解体される事になりました。

 

さらには、デトロイト・ピストンズの優勝はNBAに新たなチーム構想を提示しました。

少数のスター選手に頼り、チャンピオンを目指すスタイルではなく、各ポジションにバランス良く戦力を配置したチーム造りこそが、この時代のデトロイト・ピストンズだったのです。

 

これは、この時のデトロイト・ピストンズとロサンゼルス・レイカーズの選手の年俸を比べれば一目瞭然で

 

デトロイト・ピストンズ

年俸1000万ドル以上→ラシード・ウォレス

年俸500万ドル以上の中堅選手→5人

 

に対し

ロサンゼルス・レイカーズ

年俸2000万ドル以上→シャキール・オニール

年俸1000万ドル以上→コービー・ブライアント

年俸500万ドル以上→0

 

要するに、デトロイト・ピストンズとロサンゼルス・レイカーズのチームの作りは両極端のような形になっていたのである。

 

最強の守備力「ベン・ウォレス」

そして、この時代のデトロイト・ピストンズを支えた1人が

「ベン・ウォレス」

である。

 

最優秀守備選手賞を4度獲得(ムトンボと並び最多)

まさに、ディフェンスのスペシャリストでした。

 

また、NBAで唯一

キャリア通算で「ファウルよりも多くのブロック数」

「ターンオーバーよりも多くのスティール数」

を記録したプレイヤーである。

通算1369スティール、2137ブロック、1061ターンオーバー、2078ファウル

 

しかし、彼のキャリアはとても厳しいものであった。

大学卒業後、NBA入りを熱望していたが、ドラフトでどのチームからも指名されず、ボストン・セルティックスのサマーリーグに参加したが身長の低さからゴール下から3ポイントライン付近に配置され、本来の実力を発揮できず解雇されてしまう。

その後、イタリアでプレイをし、ワシントン・ブレッツ(現・ワシントン・ウィザーズ)が興味を示し、やっとNBA入を果たしたのである。

デトロイト・ピストンズ移籍後は、脅威のディフェンス力を発揮しました。

2001-06年の4シーズンで最優秀守備選手賞を獲得します。

2001-02シーズンはリバウンドとブロックショットのタイトルも獲得しています。

また、2002-03シーズンも2年連続リバウンド王を獲得しています。

2003-4シーズンのNBAファイナルの第5戦では18得点、22リバウンドを記録。

結果、デトロイト・ピストンズはNBAチャンピオンに輝いたのです。

勢いをつけた「ラシード・ウォレス」

そして、2003-04シーズンのNBAチャンピオンにこの人はかかせなかっただろう。

「ラシード・ウォレス」

 

この人も面白い記録を持っている。

歴代NBAで唯一、通算1000本のスリーポイント成功数、1000スティール、1000ブロックをマークしたプレーヤー。

また、通算テクニカルファウル数が300回以上。

こちらも、NBA記録である。

 

また決して素行の良い選手ではなかった。

2003-04シーズンは、ポートランド・トレイルブレイザーズから始まるも、2004年2月、アトランタ・ホークスへ放出されます。

そして、トレード期限数時間前に、今度は、デトロイト・ピストンズがベン・ウォレスの獲得に動きました。

これにより、ラシード・ウォレスはアトランタ・ホークスでは、たった1試合のみの出場に。

この時、ラシード・ウォレスの移籍を喜んでいたポートランド・トレイルブレイザーズのファンが多数いたらしいです。

 

そんなラシード・ウォレスが「チームバスケット」を掲げるラリー・ブラウンヘッドコーチ率いるデトロイト・ピストンズにフィットするとは誰も思わなかったでしょう。

しかし、ラシード・ウォレスはエゴを捨てチームプレイヤーとなったのです。

 

そして、移籍から数ヵ月後にラシード・ウォレスはデトロイト・ピストンズの主力選手として、NBAチャンピオンとなったのです。

 

2003-04シーズンのデトロイト・ピストンズはバランスの取れた良いチームだった

上記のダブル・ウォレスの印象は強いですが、そもそも、このシーズンのデトロイト・ピストンズは、バランスの取れた本当にいいチームでした。

2002年にチャンシー・ビラップス、リチャード・ハミルトン、テイショーン・プリンスを獲得し、チームの改革をはかったのです。

 

そこに、ベン・ウォレス、ラシード・ウォレスが加わり、さらには、ラリー・ブラウンHCにより、チームがまとめ上げられました。

 

最強のチーム

この時代のデトロイト・ピストンズがそれだったと思います。