
世界中にNBA旋風を巻き起こしたきっかけは、間違いなく1990年代のシカゴ・ブルズだろう、。
1991年、1992年、1993年の三連覇。
そして、1996年、1997年、1998年の三連覇。
最強チームに最強メンバー。
今回は、そんな1990年代のシカゴ・ブルズのお話をします、
1987年のドラフトの戦略
1984年のドラフトでマイケル・ジョーダンを獲得。
これは、普通に成功。
そして、1987年にはスコッティ・ピッペンをドラフトで獲得したということ。
ただ、このスコッティ・ピッペンの獲得には、シカゴをの努力があったのです。
当時、シカゴ・ブルズは地道な調査の結果隠れた逸材を発見しました。
注目度が低かったので、2巡目の後半くらいで指名してしようと言う作戦を立てていました。
それが、スコッティ・ピッペンだったのです。
しかし、新人たちが参加する最後のトレーニング・キャンプでスコッティ・ピッペンは活躍。
一気に注目度が上がります。
そして、サクラメント・キングスが1巡目の上位でピッペンを指名するかもしれないという情報がシカゴ・ブルズに入ってくるのです。
この年のシカゴ・ブルズはドラフト1巡目は8位と10位の指名権しか持っていなかったため、1巡目5位の指名権を持っていたシアトル・スーパーソニックスにドラフトの前日の深夜までかかって交渉を持ちかけました。
それは・・・
シアトル・スーパーソニックスがスコッティ・ピッペンを全体で5番目に指名し、シカゴ・ブルズはオルデン・ポリニスを指名し、直後に両チームで将来のブルズの指名権を付けてトレードし、交換でスコッティ・ピッペンをシカゴ・ブルズに入団させるというものだったのです。
結果、この交渉は成立。
そして、スコッティ・ピッペンは1巡目の5位という上位指名を受けるのですが、これには、会場の観客、関係者、アナウンサーは
「誰?」
と言った反応でした。
もちろん、一番驚いたのは、スコッティ・ピッペン本人だったでしょう。
そして、マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペンをチームの軸となるよう、しっかり育て、みるみるうちにシカゴ・ブルズは強くなっていったのです。
ハードなディフェンスとフィジカルなプレイ
マイケル・ジョーダンのスーパープレイでの得点に目が行きがちだが、この時代のシカゴ・ブルズは、ディフェンスがとても良かった。
そして、フィジカルがとても強かった。
ちょっとしたラフプレイなんて物ともしないシカゴ・ブルズの姿にファンは魅了されていったのです。
個性的でかっこいい
なにより、選手が個性的でかっこいい。
これこそが、最強かつ最高だったのだと思う。
マイケル・ジョーダンはプレイもそうだが、エアジョーダンなどのバッシュやアパレルも人気だ。
そして、ヘッドコーチのフィル・ジャクソンもダンディなルックスの持ち主。
プレイでは、スコッティ・ピッペンとマイケル・ジョーダンのコンビが魅了した。
最強のリバウンダー、デニス・ロッドマンは、その個性的なルックスとプレイがファンの心を掴み、ユーロリーグ最高のプレイヤー、トニー・クーコッチも所属していたのだ。
さらには、ロン・ハーパー、ウィル・パデュー、ルーク・ロングリー、スティーブ・カー、ビル・カートライトなど素晴らしいメンバーが集まっていた。
これは、偶然の産物ではなく、1990年代に最強かつ最高のシカゴ・ブルズを作ると言う戦略を長期的に考え、ドラフト、育成を行ってきた結果だと思う。
また、最強かつ最高のチームがNBAでうまれる事を祈っている。