マイケル・ジョーダンと言えば「23」番。
そして1995年に着用した「45」番。
それに加えて、「12」番で1試合だけ出場した事があるんです。
今回のそんなジョーダンの背番号の話を書いてみようと思います。
1試合のみ着用!背番号「12」
1984年NBA入りをし「23」番を着用していましたが、1990年2月14日のオーランド・マジック戦の試合前にユニフォームを盗まれたのですが、チームは予備の「23」番を用意していませんでした。
マイケル・ジョーダンに合うサイズの「23」番のジャージーを着ている観客が会場にいないか探したものの見つからず、仕方なく、チームが持ってきていた予備の「12」番を着用して試合に出ました。
ちなみに、名前は入っていなかったようです。
ちなみに、試合は、オーランド・マジックに敗戦。
しかし、マイケル・ジョーダンは49得点を記録したようです。
45番から23番へ
シカゴ・ブルズが1度目の3連覇を果たしたあと、23番は永久欠番になり、シカゴ・ブルズの本拠地、ユナイテッド・センターの外に彼の銅像を建てました。(現在は会場内にあるらしいです)
1回目のマイケル・ジョーダン引退後、MLBを目指していた際、45番をつけてプレイをしていました。
そして、1度目NBAの引退から21ヶ月。
マイケル・ジョーダンはNBAに復帰をすしました。
その際の背番号は「45」番でした。
しかし「45」番を着用しての試合数は、たったの22試合でした。
オーランド・マジックとイースタン・カンファレンス・セミファイナルで対戦し、第1戦で敗れたあと、背番号を「45」から「23」へ戻したのです。
理由は、この試合の第4クォーター残り20秒の時点で1点リードしていたシカゴ・ブルズ。
マイケル・ジョーダンがニック・アンダーソンにボールを奪われしまい、元ブルズのホーレス・グラントにダンクを決められシカゴ・ブルズが逆転負けをした試合後、ニック・アンダーソンがインタビューで
「45番は23番とは違う。23番が相手だったら、スティールは奪えなかったかもしれない」
とコメントをしました。
そして、次のオーランド・マジックとのイースタン・カンファレンス・セミファイナル第2戦に背番号を「23」に戻したのです。
23番の復帰戦で、マイケル・ジョーダンは、38得点を記録し、シカゴ・ブルズも104-94で勝利をしました。
これ以降、マイケル・ジョーダンは23番を着用しています。
45番から23番に戻した理由が、負けず嫌いなマイケル・ジョーダンらしいエピソードですね。