1度目の引退の後、野球へ転向し、MLBを目指したマイケル・ジョーダン。
「そんなの無理だ」
と言う声も多数あったと思います。
結果、マイケル・ジョーダンはメジャーリーガーになる事はできなかったですが、実はNBA選手からMLBへ行った選手は他にも12人存在したようです。
今回は、その選手たちを紹介します。
メジャーリーグでプレイしたNBA選手
ダニー・エインジ
1981-1995はNBAでプレイしました。
NBA時代は、1980年代に黄金期を築いたボストン・セルティックス、フェニックス・サンズなどで活躍していたようです。
野球選手としては1979-1981年にMLBのトロント・ブルージェイズでプレイしていました。
現在は、ボストン・セルティックスの球団社長をやっています。
大出世ですね。
1977年にはバスケットボール、野球、サッカーで全米トップクラスと評価されたようですが、サッカーを諦め、野球とバスケットボールに絞ったようです。
そして、野球ではMLBのトロント・ブルージェイズからドラフトで指名され、バスケットボールではブリガムヤング大学から奨学金を得たようです。
野球、バスケットボール共にエリートだったんですね。
フランク・バームホルツ
1946-1949年はNBAでプレイをし、1951-1957年まではMLBでプレイしていたようです。
ジーン・コンリー
1952-1964年ははMLB、1954-1963はNBAで活躍した選手だったようです。
MLBでは、1957年にミルウォーキー・ブレーブスでワールドシリーズを制覇し、NBAでは、ボストン・セルティックスで、1959年m,1960年、1961年に、NBAチャンピオンも経験しています。
「アメリカの4大プロスポーツリーグのうち2つでチャンピオンリングを獲得した初めての選手」
だったらしいです。
ものすごいキャリアです。
チャック・コナーズ
1949年、1951年にMLB、1946-1948年にNBAでプレイをしたようです。
1946年からボストン・セルティックスでプレイし、春になるとMLBのブルックリン・ドジャースのキャンプに参加していたようです。
マイナーリーグを経験し、1949年にドジャースに入団したようですが出場はたったの1試合だったようです。
その後、1951年にシカゴ・カブスに入団し、66試合に一塁手、代打として出場をするも、1952年には再びマイナーリーグ行きとなってしまったらしいです。
自分にはアスリートの道が難しいと判断し、今度は、俳優の道を目指し、映画にも出演していたようです。
多才ですね。
デイブ・ディバッシャー
デトロイト大学卒業後、1962年のNBAドラフトにてデトロイト・ピストンズに入団し、1974年までプレイをしたようです。
その間、NBAオールスターゲームに8回も出場し、オールNBA2ndチーム選出1回、オールディフェンシブ1stチーム選出6回、さらには、ニューヨーク・ニックスに所属していた時には、2度のNBAチャンピオンにもなっています。
NBA50周年記念オールタイムチームにも選ばれ、背番号「22」はニックスの永久欠番になっています。
そして、デトロイト・ピストンズに所属していた、196絵年から2年間は、MLBのシカゴ・ホワイトソックスで投手としてもプレイをしていたらしいです。
大谷翔平の二刀流を超える凄さです。
ディック・グロート
1952-1953年をNBAで、1952年、1955-1967年をMLBで過ごしたようです。
デューク大学出身で、大学時代に、なんと、野球とバスケットボールの両方で全米代表チームに選出されたようです。
大学時代から野球、バスケットボール共に、良い成績を残しており、特にバスケットボールでは839ポイントのNCAAシーズン記録も樹立したまたした。
大学を卒業後にMLBのピッツバーグ・パイレーツと契約を交わし、ルーキーイヤーの1952年に95試合出場し、新人王投票でも3位になりました。
同じく1952年のNBAドラフトでフォートウェイン・ピストンズから1巡目全体3位で指名を受けて入団し、この野球のオフシーズンに1シーズンのみNBAでプレイをし、1953-1954年はアメリカ陸軍で兵役へ。
そして、1955年にMLBピストンズには戻らず、ピッツバーグ・パイレーツに復帰しました。
スティーブ・ハミルトン
1958-1960年はNBA、1961-1972年にMLBでプレイしていたようです。
マーク・ヘンドリクソン
ワシントン州立大学卒業後、MLB、NBA両方のドラフトで指名され、しばらくは二足の草鞋をはいていたようです。
1996年のNBAドラフト2巡目2位指名でフィラデルフィア・セブンティシクサーズ入団し、サクラメント・キングス、ニュージャージー・ネッツ、クリーブランド・キャバリアーズと毎年チームを変わりながらNBAで4年間プレイをし、114試合に出場したようです。
2000年以降は野球一本に絞り、2002年8月6日にトロント・ブルージェイズでメジャーデビューをし、メジャーリーガーの仲間入りをしました。
ポジションはピッチャーで、328試合に登板しました。
また、高校時代は、テニスプレイヤーとしては州代表にもなったようです。
コットン・ナッシュ
1964–1967年の間NBAでプレイしていたようです。
ロサンゼルス・レイカーズ、サンフランシスコ・ウォーリアーズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)に所属を指定やようです。
メジャーリーガーとしては、シカゴ・ホワイトソックス、ミネソタ・ツインズに所属をしていたようです。
ロン・リード
1965年のNBAドラフトでデトロイト・ピストンズに指名され、19651967年の間NBAでプレイしたようです。
その後、メジャーリーグに挑戦し、1966-1984年はMLBでプレイしています。
アトランタ・ブレーブス、セントルイス・カージナルス、フィラデルフィア・フィリーズ、シカゴ・ホワイトソックスでプレイをし、1968年にはオールスター出場、1980年には、ワールドシリーズ制覇をしたようです。
ディック・リケッツ
1955年のNBAドラフト1巡目1位でセントルイス・ホークス(現アトランタ・ホークス)に指名され、1958年まではNBAでプレイをしてたようです。
また、1995年よりセントルイス・カージナルスにも所属しメジャーリーガーでもあったようです。
野球の方は10シーズンやっていたようで、ポジションはピッチャーだったようです。
ハウィー・シュルツ
1943年、ロサンゼルス・ドジャースでMLBデビュー。
俊足で強肩、パワーヒッターだったようです。
ドジャースのレギュラー一塁手として活躍し、1943年には45試合に出場し、打率.269、1本塁打、38打点をあげました。
1944年には138試合に出場し130安打、11本塁打、87打点と成長を遂げたようです。
1948年までの6年間MLBでプレイし、470試合に出場、383安打、打率.241、24本塁打、163打点の成績を残したようです。
また、バスケットボールの方は、1946年から1949年までNBLのアンダーソン・パッカーズでプレイをし、1949年にNBLがNBAに吸収された後、1949-50シーズンに選手兼ヘッドコーチを務めていたようです。
1953年まで、NBL、NBAでプレイをし、合計338試合に出場し、2513得点をあげたらしいです。