ビンス・カーター ~ハーフマン・ハーフアメイジング~ 22年のキャリアを振り返る 第1章~キャリア初期トロント・ラプターズ時代

6月25日(現地時間)この日を持ってアトランタ・ホークス所属のビンス・カーターは引退表明を行い22年間(NBA記録)に渡るバスケット人生の幕を閉じました。

Half-man・Half-Amazing(半分人間・半分驚異)と呼ばれたレジェンドは、コロナウイルスという未知なる脅威の影響によりレギュラーシーズンを最後まで戦う事なくキャリアを終える結果となりました。

この記事ではカーターの長いキャリアを4つの時代に分けて振り返っていきたいと思います。

 

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1章~エア・カナダ時代

 名門ノースカロライナ大学で頭角を現していたカーターはACCで連覇を果たし、オールACCファーストチームやオールアメリカン・セカンドチームに選出されています。

NCAAトーナメントではファイナルフォーで敗れたものの3年間の通算キャリアは平均12.3得点、4.5リバウンド、1.1アシストを記録し1998年にアーリーエントリーしました。

 

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早くも飛躍の年へ

 ノースカロライナ大学での活躍を評価されたカーターはドラフト全体5位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名され直後にトロント・ラプターズに移籍します。

キャリア1年目となった1998-99シーズンはロックアウトの影響で試合数が短縮されましたが、50試合中49試合に先発出場し平均18.3得点、5.7リバウンド、3アシストのスタッツを記録。

チームはプレイオフ進出を逃すもののカーターは新人王に輝き評判以上の実力を証明しました。

 

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伝説のダンクコンテスト

 NBAファンに「ベストダンカーは?」と質問すればカーターの名を挙げる人は数多くいるでしょう。その象徴が2000年に行われたダンクコンテストです。カーターと共にファイナルラウンドに進んだのは当時チームメイトだったトレイシー・マグレディーと勢いのあるルーキーのスティーブ・フランシスで、いずれも素晴らしいダンクを見せていました。

しかしカーターは更にその上を行き、360°ダンクやレッグスルーからのダンク、ダンク後に肘でぶら下がるエルボーダンク、ボースハンドダンクなど異次元の跳躍力と身体能力でファンの度肝を抜き優勝しました。

その後、比較される事の多かったthe Airことマイケル・ジョーダンと所属していたラプターズがカナダに本拠地を構えていた事から「Air Canada」と呼ばれるようになりました。このダンクコンテストは20年経った今でも語り継がれる伝説となりました。

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成功と怪我

 2000年はカーターにとって正に成功の年であり、2000-01シーズンはキャリアハイとなる平均27.6得点をマーク、チームも敗れはしたもののカンファレンス準決勝に進出しています。

また、同年に行われたシドニーオリンピックではトム・ググリオッタの代役ながらドリームチームに加わると、フランスとの予選で218cmあるセンターを198cmのカーターが頭を飛び越えながらダンクを叩き込みダンクコンテストに勝るとも劣らない衝撃を与えました。

オリンピックではゴールドメダルに輝き更なる活躍が期待された2001-2002シーズンでしたが終盤に左ヒザを怪我しシーズンアウト、続く2002-03シーズンも怪我の影響で43試合の出場に止まりました。

 

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チームとの確執から決別へ

 2003-2004シーズンは後にチームの顔となるクリス・ボッシュをドラフトで獲得しカーターもヒザの故障から復活する年となりました。

実際スタッツも平均22.5得点、4.8リバウンド、4.8アシストとまずまずの成績を残しましたがチームは33勝49敗と大きく負け越しました。

原因はヘッドコーチの交代や主力の放出とされ、当時フロント陣とカーターには重要な決定事項がある場合相談するとの密約があったがフロント陣はこれを守らず確執が生まれたと言われています。

結果カーターは2004–05シーズン開幕から自身ワーストとなる平均15.9得点の精彩を欠いたプレイを続けチームにトレードを要求し、チームは仕方なくニュージャージー・ネッツとのトレードを行いました。

どこまでが本当の話か分かりませんが、結果的にラプターズファンに愛されたカーターは裏切り者のレッテルを貼られ大ブーイングを浴び続ける事になります。

 

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可愛さ余って憎さ百倍

 カーター程ファンに愛され嫌われた選手はいないかもしれません。

フロント陣と確執があったにせよファンには全く関係のない事で、本気でプレイをしない姿を見せたままチームを去ったカーターに対しファンは愛情から憎しみをぶつけるようになりました。

これと似たケースは過去にもあり、最近では2019年にペリカンズからレイカーズに移籍したアンソニー・デイビスが挙げられます。

デイビスもペリカンズとの凱旋試合では大きなブーイングを浴びましたが、カーターに対するブーイングは規格外で10年もの間ラプターズホームで試合をする度に続きました。

しかし裏を返せばそれだけ愛されていたという事ですし、カーター自身も

「ブーイングするのはまだ自分を思っていてくれる証拠、それはそれでエキサイト出来る」

とコメントしていました。

これはまだ先の話ですが、それを証明する出来事が2014年11月に起こります。

グリズリーズに所属していたカーターがラプターズホームで試合した際、ラプターズ創設20周年のセレモニーが行われました。

そこで大型ビジョンにカーターがラプターズでプレイしていた頃の映像が流れると、ブーイングではなく拍手が起こりスタンディングオベーションで称えられました。

その光景に涙するカーターの姿は感動的で相思相愛だったのだと改めて感じました。

 

出来る事なら1日契約で入団し、ラプターズの一員として引退して欲しかったですね。

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