力強いパワープレイを駆使しながら相手をねじ伏せてきたラプターズ・ネッツ時代。
肉体的な衰えに逆らわずアウトサイド主体の攻撃を増やしユーティリティープレイヤーへ変化したマジック・サンズ・マーベリックス時代。
チームを渡り歩きながらもアジャストし活躍を続けて来たカーター。
ここからはメンフィス・グリズリーズ、サクラメント・キングス、アトランタ・ホークスでプレイしキャリアを終えるまでを振り返ります。
最後となったプレイオフで先発出場
2014年カーターは惜しまれながらもマーベリックスを離れグリズリーズへ移籍。
グリズリーズはマイク・コンリー、マルク・ガソル、ザック・ランドルフが主力のバランスが取れたプレイオフ常連チームでしたがベンチ層が薄いという弱点も抱えていました。
カーターは66試合中65試合にベンチから出場し平均出場時間16.5分、5.8得点、2リバウンド、1.2アシストと大きく数字を下げましたが、ベテランらしくチームを盛り立て時折見せるダンクは会場を大いに沸かせました。
40歳となった2016–17シーズンは自身のコンディションが良く73試合に出場すると怪我人が多かった事もあり17試合に先発出場します。
更に最後となったプレイオフの舞台でも先発出場を果たしディケンベ・ムトンボ以来2番目の高齢出場記録となりました。
メンターとしての役割も担い若手主体のチームへ
その後カーターはキングス、ホークスへ移籍しキャリアの最後を迎える事になります。
どちらのチームもプレイオフには程遠く若手主体の再建期に入ったチームですが、カーターにはベンチプレイヤーとしてだけでなく若手に対するメンター役の役割を見込んでのオファーでした。
キャリアの終わりが近い事を理解しているカーターにとってチャンピオンリングを求めるのであれば優勝の可能性が高いチームに移れる可能性もあったと思いますが
「ベンチの端で座っているだけで、プレイする機会は与えられないのでは楽しくない」
と語ったように純粋にプレイが出来るチームを選びました。
また、若い選手達とコミュニケーションを交わしたりメンターとして手本になる事にも充実感を感じていたそうです。
突然訪れたキャリアの終焉
ホークスで2年目を迎える2019–20シーズン前に今シーズン限りでの現役引退を発表していたカーター。
42歳の大ベテランは67試合を消化した時点で60試合にベンチから出場し、目標に掲げていた全試合出場とはなりませんでしたがアウトサイドを主体に活躍を見せていました。
ところがレギュラーシーズンを15試合残した3月11日を最後にコロナウイルスの影響からリーグは中断。
協議の結果7月末からプレイオフ進出の可能がある22チームでシーズンを再開する事が決定されましたが、イースタン・カンファレンス14位と下位に沈んでいたホークスは除外されシーズンが終了。
結果的に3月11日に行われたニックス戦がカーターにとって引退試合となりました。
この試合ホークスは敗れたもののオーバータイムにカーターは3ポイントシュートを決めていて、後にインタビューで
「あのシュートがなかったら、心に何か引っかかっていただろう。もう少しだけプレイしたい、得点を決めたいという気持ちになっていたと思うよ。僕は実際にそれを決めることができたから幸せだ」
と語りました。
輝かしい記録
競争の激しいNBAの中で22年間プレイしたカーターは数々の素晴らしい記録を残しました。
中でも1番に挙げられるのが22シーズンプレイというNBA記録ですが、これに付随して1990年代、2000年代、2010年代、2020年代の4つの年代に渡ってプレイした史上初の選手となりました。
怪我や移籍を繰り返しながらも続けてこれたのは柔軟な対応力や諦めない不屈の闘志、人間性の賜物ではないかと思います。
他にも歴代3位の通算出場試合数(1,541試合)や歴代19位の通算得点数(25,728得点)、またキャリの中で6シーズン半と1番長く在籍したラプターズでは得点・アシスト・スティールなど6部門でチーム歴代10位以内を記録しています。
優勝を含め1位になれなかった記録が多いのも、ある意味カーターらしいのかなと思いました。
カーター最後の格言
今後殿堂入りする事は間違いないと思いますが、本来であれば引退をもっと華やかに祝われるべき選手だっただけに残念でなりません。
ですがカーターは新人王を獲得したルーキーイヤーもロックダウンで短縮されたシーズンだった事を絡めて
「短縮されたシーズンにNBA入りし、現役を引退することは不思議な気持ちであると同時に、とてもユニークだとも思っている」
とテレビ番組で格言を残しました。
もうプレイする姿は見れませんが、数々の驚異的なダンクや43歳まで戦い続けたスピリットは今後も語り継がれていく筈です。