東京オリンピックで周囲を感動させた林咲希!努力と悲しみを乗り越えた人生とは?

東京オリンピックでソフトボールの主将山田恵里選手さえも、ソフトボールの金メダルより、女子バスケットボールの史上初の銀メダルが素晴らしいと答えるほど、女子バスケットボールの銀メダルは女子の注目度を変えました。

その女子バスケットボールのベルギー戦、残り16秒で逆転シュートを決めたのはこの大会高確率で3ポイントを決め続けた林咲希選手です。

そんな林咲希選手のプロフィールや人柄、オリンピック後の反響を紹介します。

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林咲希プロフィール

林咲希選手のプロフィールを紹介します。

  • 名前:林咲希(はやしさき)
  • コートネーム:キキ
  • 生年月日:1995年3月16日
  • 出身地:福岡県糸島市
  • 出身校:精華女高、白鷗大学
  • 身長:172㎝
  • 体重:67㎏
  • ポジション:GF
  • 趣味:KpopのYouTubeを見ること
  • SNS:Twitterインスタグラム
  • 所属:ENEOSサンフラワーズ(2017年~)
  • 日本代表歴:2015年~

林咲希選手は父が作った地元糸島のミニバスに2人の姉の影響も受けて加入します。

その後、決してエリートコースを歩んだ訳ではありません。

女子バスケットボールの日本代表選手の多くは高校卒業後、Wリーグに所属し、20代前半から日本代表へ選ばれます。

しかし、林咲希選手は高校卒業後、Wリーグからは声がかからず白鷗大学に進学、大学で1年からレギュラーとして活躍し、強豪ENEOSサンフラワーズに加入します。

林咲希選手の性格は、練習熱心で、周りを楽しませる選手です。

コロナの影響でプレイオフができない時でも選手の練習動画をあげ、周りを楽しませてくれました。

林咲希が世界に通用したクイックスリー

林咲希選手が日本代表でも体育館に住んでいるのではないかと練習を続けていたのが、ベルギー戦でも決めたクイックスリーです。

もらった瞬間打つスリーは、脅威の49%という高確率でシュートを決めました。

ベルギー戦のフェイントも練習通りだというほど、努力の賜物だったようです。

銀メダルを一番伝えたい人

オリンピックのあとに林咲希選手は、父親に報告したいとコメントしています。

その父親はこの世にいません。

父親は、2017年8月25日に病気で亡くなられています。

53歳という若さだったそうです。

咲希という名前を

「希望の花が咲くように。周りに希望を与えられるように」

と付けた父親は、林咲希選手にバスケットボールの楽しさと感謝の気持ちを伝えてこの世を去りました。

最後に父親と会ったのは、亡くなる2週間前、林咲希選手が出場したユニバーシアードの試合会場です。

 

父親は

「もう見られないかも知れないから最後に咲希のプレーを見たい」

と医師を説得し福岡から東京まで飛行機で応援にきたそうです。

そんな父は、オリンピック代表に林咲希選手が選ばれて周りに希望を与えるプレーをして、銀メダルを獲得したことを空の上から見ているかもしれません。

コートネームの意味

林咲希選手のコートネームは「キキ」林の木が2つという意味合いと

「ピンチで助けられる存在に」

という意味合いが込められています。

ベルギー戦のチームの危機を救ったシューターは、コートネームの名に恥じない選手だったことになります。

九州のテレビに多数出演

ちなみに、林咲希選手の亡くなられた父親は元糸島職員で、地域をあげて林咲希選手を応援していたこともあり、銀メダル獲得後九州のテレビに多数出演、一躍九州のヒーローになりました。

そんな糸島市役所の林咲希選手の父親の後輩が書いた「林咲希物語」が話題になっています。

https://kyushu.ebpark.jp/itoshima/hayashisaki_stories/HTML5/pc.html?pNo=2