車いすバスケ日本代表がが東京パラリンピックで躍動しました。
若手の活躍はもちろん、シュートの精度やディフェンスも含め、見ていて楽しいチームでしたね。
そんなチームを支えるベテラン選手の1人が、藤本怜央選手です。
藤本怜央選手とはどのような選手なのでしょう。
家族の絆や引退を考えた理由など、藤本怜央選手のさまざまな情報をまとめました。
藤本怜央のプロフィール
藤本怜央選手は、小さい頃はサッカーをしていましたが、小学校3年生で交通事故に遭い右足を切断してしまいます。
その後、両親が国体の元バスケットボール選手ということもあり、父親が指導していたミニバスチームに所属します。
そのバスケットボールチームに義足で所属していたようです。
中学・高校になるにつれ、急停止するスピードが大変になっていることを心配した父親に両親がプレーしていた社会人バスケットボールをすすめられます。
その後、高校3年の時にみた全国障害者スポーツ大会に魅了され、車いすバスケをはじめます。
2004年より日本代表の大黒柱として活躍し、2014年に負けた原因は自分の成長が止まっているからだとドイツに武者修行にいき、ドイツと日本のチームでプレーする生活を送ります。
そしてさらにドイツリーグで成長しながら、今回の東京パラリンピックに挑んだんです。
藤本怜央のプレースタイル
藤本怜央選手のプレースタイルは、高さを活かした攻撃と確率の高いシュートです。
2ポイント、3ポイントを始め、高確率で決まるシュートがチームを引っ張っています。
また、フィジカルの強さも特徴です。
藤本怜央選手は車いすバスケの選手の中で最も障害が軽い4.5です。そのため、相手のチームから警戒され、2人・3人がつくことも…。
マークにつく選手を振り切る力をドイツで学び東京パラリンピックでも活かされています。
藤本怜央は一度引退を考えていた
車いすバスケは、足を使えない分、腕や肘に負担がかかります。
藤本怜央選手も肘をいため、2017年に手術をすることに…。
その時に「引退」を考えたそうです。東京パラリンピックが決まっていながらの引退は悩みながらの決断だったのでしょう。
その決断を変えたのが、奥さんの優さんの発言
「ゆっくり治せば東京パラリンピックに間に合うんじゃない?」
その言葉を支えに、必死にリハビリを頑張ります。
そして、奥さんの優さんも苦手な料理を勉強し、藤本怜央選手をサポートしたそうです。
奥さんの支えあってこその藤本怜央選手のようです。
藤本怜央家は一家団結?
さまざまな支えがあって東京パラリンピックの舞台に立っている藤本怜央選手。
地元である静岡県島田市に住んでいる両親や兄弟は、実家でテレビを見ながら応援しているそうです。
リオではパブリックビューイングでの応援をしており家族揃って応援することがなかった藤本家。
家族で祈るように活躍を応援しているそうです。
ちなみに、藤本怜央選手が履いている金色と白のバッシュは、奥さんの優さんがデザインしたバッシュだとか…。
「金メダルを取ってほしいから」という願いが込められているそうです。
藤本怜央選手の愛情込められたバッシュにも注目です。