東京パラリンピック車いすバスケのシックスマン!北田千尋は元バスケ部のコーチだった!

東京パラリンピック、2大会ぶりに出場した大舞台で6位という結果を残した車いす女子バスケットボール。

その中でも、途中出場で、平均10.5得点とチームでも欠かせない存在として活躍した選手が北田千尋選手です。

また、北田千尋選手の高校時代はバスケットボールのコーチだったという経験もあります。

今回は、北田千尋選手のプロフィールや東京パラリンピックの成績についても紹介します。

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北田千尋のプロフィール

  • 名前:北田千尋(きただちひろ)
  • 生年月日:1989年1月12日
  • 出身地:和歌山県橋本市
  • 出身校:九州共立大
  • ポジション:PF
  • クラス:4.5(両足の股関節に障害)
  • 所属:女子車いすバスケットボールチーム「カクテル」、LINE株式会社

 

北田千尋選手は、和歌山県出身の車いすバスケットボール選手です。

3歳のころから喘息を患い、入退院を繰り返す生活。中学時代にはバスケットボールを始めるも、長く動きすぎると両脚が痛くなるということから思いっきりバスケットボールができない悔しさの残る中学時代を送っています。

 

その後、高校はバスケットボールチームのない高校に進学しましたが、バスケットボールのコーチになります。

5年制の高専を3年で中退後、体育教師になるため大学に入り、大学2年で車いすバスケットボールに出会います。

思いっきりバスケットボールできる喜びから練習に励み、はじめてわずか1年で女子U25世界選手権に日本代表として出場。

 

2012年からは関西の女子車いすバスケットボールチーム「カクテル」に所属し、優勝を6回達成し、MVPを4回受賞。

2016年から2018年まではオーストラリアリーグに所属し、東京パラリンピックでは日本代表チーム内最多得点を叩きだしています。

北田千尋が高校バスケ部のコーチになった理由!

北田千尋選手が高校バスケ部のコーチになった理由はバスケの情熱を捨てきれなかったからという理由のようです。

両脚が上手く動かず思うようなプレーができなかった新たなバスケに関われる道ができたのでしょう。

 

筆者が知っている中で、日本で学生コーチになった人は、北田千尋選手の他に、宇都宮ブレックスのサポートコーチを勤める佐々宜央さんです。

佐々宜央さんは東海大学時代からコーチをはじめています。

アニメの世界でいえば、黒子のバスケの主人黒子テツヤが所属する誠凛高校のマネージャー兼コーチの相田リコが高校コーチです。

 

その後、車いすバスケと出会って選手に戻っていますが、コーチを経験しているからこそ車いすバスケとして成長できているのでしょう。

北田千尋のプレースタイル

北田千尋選手の障害は、両足の股関節に障害でクラスが4.5と車いすバスケの中でも比較的軽い障害の選手です。

そのため、得点力はもちろん、世界の選手とゴール下で戦うパワープレイが求められます。

 

北田千尋選手は、シュート力はもちろん、細い身体でDRや相手をガードする選手です。

北田千尋のパラリンピックの結果

北田千尋選手の東京パラリンピックの結果は、平均23分、平均得点10.5点とスタメン外ではありながら得点トップです。

 

しかし、勝っている試合の平均得点が約8点以上、反対に負けた試合は5点以下に抑えられています。

強いチームは、北田千尋選手を含め、クラスの高い選手の対策がきちんとできていることがいえます。

 

その反面、リバウンドと速攻の速さは世界にも通用しています。

車いすバスケットボールに限らずですが、ゴール下よりも速攻ができる日本女子バスケのような3ポイントシュート主体のチームが増えています。

 

北田千尋選手のような選手が3ポイントの確率が上がるとさらにチームの武器になるでしょう。

Twitterをチェック

北田千尋選手は、Twitterデビューされています。

バスケットボール選手の日常は知られていませんが、さまざまな日常やBリーグ観戦デビューした様子がとても分かりやすく書かれています。

車いすバスケの人と出会うことがない人が多いと思いますが、北田千尋選手のTwitterを見ていると身近に感じることができますよ。

また、選手でいられるのはあと数年とある記事で答えていたので、3年後のパラリンピックがラストチャンスかもしれません。

パラリンピックでメダルを取るには、もっと個人としてもチームとしても成長しなければいけないと思いますが、これからも頑張ってほしいです。