「デビッド・ロビンソン」は勝負弱かったのか?

個人としては輝かしい成績を残し
得点王、リバウンド王、ブロック王
MVP、最優秀守備賞などを獲得。

 

しかし、なかなかチームを優勝に導く事ができず
「勝負弱い」
というレッテルが一時は貼られてしまった
90年代NBA屈指の名センター「デビッド・ロビンソン」

 

この鋼のような筋肉。
そして、背の高いプレイヤーなのに、とても上手だった印象があります。

 

しかも、左利きで、ディフェンスとしては、マッチアプしたくないプレイヤーの1人だったのではないでしょうか?

 






 

オリンピックでのデビット・ロビンソン
1988年、1992年、1996年と3回アメリカ代表として出場。
2度の金メダルの獲得に貢献した。

 

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現役時代のデビッド・ロビンソン
1989年よりスパーズに参加。
このシーズンロビンソンは月間最優秀新人選手に毎月選出され
個人成績もシーズン平均24.3得点12リバウンドと素晴らしいものだった。

 

サンアントニオ・スパーズは、前シーズン21勝61敗だった。
しかし、ロビンソンが加入によりチームは、成績をディビジョン1位の56勝26敗に引き揚げた。
そして、ロビンソンは、新人王を受賞する事になる。

 

ロビンソン個人はオールNBAチームやオールNBAディフェンシブチームに選ばれるなど高い評価を得る。
しかし、チームはその後数年間カンファレンスの強豪ないし中堅と言った状況が続いた。

 

1993-94シーズンにはリーグの得点王を獲得。
このシーズンの終盤には、ロビンソンと
オーランド・マジックのシャキール・オニールとの間で
得点王レースが繰り広げられていた。

 

ロビンソンはシーズン最後の試合、チームメートの協力も得て71点をあげ、オニールを上回り得点王になった。

 

1990年代半ばのスパーズはリーグでも屈指の強豪となっていた。
しかし、NBAチャンピオンになる事はできなかった。

 

 

ティム・ダンカンと言う相棒を獲得
そして、1997年、ドラフトでサンアントニオ・スパーズはティム・ダンカンを獲得する。

 

この年から、ロビンソンと、ティム・ダンカンのツインタワーとして優勝を狙うことになる。

 

 

役者は揃った。

 

即戦力として期待されたダンカンは加入初年度より
期待通りの活躍をみせた。

 

それにより、ロビンソンの役どころも変化していった。

 

1998-99シーズンはチームでの得点首位の座をダンカンに譲り
同時にエースとしての立場もダンカンに引き継がれたようにみえた。

 

見えたというよりも、ロビンソンがそうしたのだろう。

 

この年、スパーズは、NBAファイナルへと進み
パトリック・ユーイング率いるニューヨーク・ニックスを下し
チャンピオンリングを手に入れた。

 

ファイナルMVPにはダンカンが選ばれたが、そのお膳立てをしたのは間違いなくロビンソンだったはずだ。

 

その後3年間は、シャキール・オニール、コービー・ブライアントを擁し
フィル・ジャクソン監督が率いるロサンゼルス・レイカーズの時代となった。

 

ロビンソンの成績は年齢とともに徐々に下降していったものの
ダンカンとの「ツインタワー」は健在で、2003年にはスパーズの2度目の優勝を果たし
それに大きく貢献した。

 

そして、このシーズンでロビンソンは引退する事になった。

 





 

 

プレイスタイル
ロビンソンは高身長選手の常識を覆すほどの高い運動能力を持っていた。
そして、コートを駆け抜ける走力、アシスト能力も非常に高かった。

 

ポイントガードの資質まで備えているところから
「ポイント・センター」
と呼ばれていた。

 

また、ロビンソンの凄さは、得点力だけではない。
ディフェンスの能力も非常に高く
オールNBAディフェンシブチームには
ほぼ毎シーズン選ばれていた。

 

 

また、1994年2月の対デトロイト・ピストンズ戦では
34得点、10アシスト、10リバウンド、10ブロックをあげ
4つの部門で2桁を達成する
クワドラプル・ダブルを成し遂げた史上4人目の選手となった。

 

MVP
得点王
リバウンド王
ブロックショット王

など個人で受賞できる賞はほとんど全て獲得している。

 

高身長のセンタープレイヤーは不器用な選手が多い中
これだけ、色々な事をこなせた選手はNBAの中でも非常にまれだと思う。