今は、随分なくなりましたが
「白人、黒人」の差別。
昔、バスケットボールの選手は黒人選手が多く
黒人選手が強いイメージが強かったです。
チャンピオンリングを獲得できなかったレジェンドプレイヤー
そして、NBAでは少数派の白人スター選手ジョン・ストックトン。
彼の偉大な記録について振り返りたいと思う。
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無名だったプロ入り前
ジョン・ストックトンは少年時代から練習熱心で
早朝から練習が出来るようにと、体育館の鍵を学校職員ではなく彼が所持していたらしい。
高校卒業後は地元のゴンザガ大学に進学。
しかし、当時は、ほぼ無名の存在。
しかし、一部ではその実力が認められており
1984年のロサンゼルスオリンピックの代表選考会にも呼ばれている。
結果は落選し、ロサンゼルスオリンピックには出場できなかった。
本人も
「NBAなんて思わなかったしドラフトされるとは考えもしなかった」
と語っていたようで、現に、ドラフト指名されるような有力選手は会場に呼ばれるにも関わらず
1984年のNBAドラフトでは会場には呼ばれる事はなく
自宅のTVでドラフト中継を見ていたらしい。
すると、ユタ・ジャズに1順目16位で指名。
「あまりのことにどうすればいいか分からなかった」
と衝撃を受けた。
また、電話をかけてきたドラフト中継の解説者に
「世間ではブーイングではなくフーイング(who)だ」
と言われたらしい。
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NBAではアシストを量産
NBAに入ってすぐは、控えとして出場。
4年目ぐらいからスターターとして定着した。
そして、1980年代後半以降、マローンは毎年30点前後の平均得点を上げ
ストックトンは毎年のようにリーグ最多のアシスト数を記録する事になる。
ストックトンの相棒と言えばマローン
マローンの相棒と言えばストックトン
だった。
9年連続アシスト王
1987-88シーズン以降、ストックトンは9年連続で平均アシスト王に輝く。
特に凄かったのは、1989-90シーズンの平均アシスト数14.5。
これは、現在でもリーグ歴代最高。
そして、マジック・ジョンソンの記録を抜き
通算アシスト数1万を超える最初の選手となった。
2003年に引退した時点でのアシスト数は15806本で、歴代最多。
この当時のユタ・ジャズは、とにかく、マローンとストックトンで得点を獲っていたイメージが強い。
チャンピオンリングには手が届かず・・・そして引退へ
1990年代に入る頃、ストックトンとマローンは選手としての評価が最高だった時期だと思う。
2人で1992年のバルセロナオリンピック、1996年のアトランタオリンピックの
ドリームチームに選出され、金メダルを獲得。
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正直、この時代のガードは選手層が厚かったが
ストックトンは毎年のようにオールNBAチームに選ばれ
特に1994年と1995年にはオールNBAファーストチームに選出もされている。
しかし、それでも、なかなか優勝できないのがNBA。
「ジョン・ストックトンは純粋な意味で、これまでで最高のポイント・ガードだ」
(チャールズ・バークレー)
そして、マローンとの最高のコンビプレイ。
間違いなく、優勝を狙える状況にはあったと思う。
しかし、NBAチャンピオンになる事はなく2003年に引退をする。
そして、2004年にジャズの本拠地、デルタ・センターで引退セレモニーが開かれ
彼の背番号「12」はジャズの永久欠番となり、デルタ・センターの前には
彼の雄姿のブロンズ像が設置されている。
記録でジョン・ストックトンを振り返る
通算アシスト数:15806(歴代1位)
1シーズンで記録したアシスト数:1164(1990-91)
シーズン1試合平均アシスト数:14.5(1989-90)
通算スティール数:3265(歴代1位)
一つのチームに在籍し続けた期間:19シーズン
同一チームでの出場試合数:1504
優勝していない選手におけるプレーオフ出場試合数:182
プレーオフ出場連続年数:19
シーズン最多アシスト回数:9
シーズン最多アシスト連続年数:9
これだけの偉大な記録を残していてもNBAチャンピオンにはなれていない。
非常に不思議な事だ。
何かピースが1つ、2つ足りなかったのだろうか?
息子「デイビッド・ストックトン」もNBAデビューをしていた
ジョン・ストックトンの三男「デイビッド・ストックトン」もNBAデビューを2015年にしていました。
キングスとの10日間契約を結び1試合に出場。
その後、契約延長はされなかったようです。
偉大な父を目標に頑張って欲しいですね。