NBAプレイヤーの中では身体も細く、ジャンプ力があるわけでもなく
決して身体能力的に恵まれていたわけではないレジー・ミラー
しかし、彼の魅力は、シュートレンジの広さ、そして、そのシュート力。
数々の印象的なシュートを決めてきたレジー・ミラー
チャンピオンリングを獲得するために移籍する選手が多数いる中で
俺はリング欲しさの移籍なんてしない
と言いペイサーズ一筋。
とても男らしくカッコイイ選手でした。
レジー・ミラーは生まれつき脚が曲がっており正常に歩くことができなかったらしく
ギプスをつけるなどの矯正を数年行い正常に歩けるようになったらしい。
また、ミラーの家族は、兄のダレルがMLBのキャッチャー
姉のシェリルがバスケットボール選手でオリンピック金メダル獲得
妹のタミーがカリフォルニア州立大学でバレーボール選手とスポーツ一家
なんです。
大学時代は、UCLA歴代2位の通算得点を記録。
1シーズンでの記録では最多得点
1試合あたりの最多得点
最多フリースロー成功数などのタイトルも獲得しているんです。
大学時代から注目を集めてたレジー・ミラーは
1987年のNBAドラフトでインディアナ・ペイサーズに指名されいサーズに入団。
その後、引退まで、ペイサーズでプレイをしていたんです。
また、レジー・ミラーのお姉さん「シェリル」もバスケットボール選手でオリンピック金メダルまで獲得しています。
彼女もまたすごくて「女ジョーダン」なんて呼ばれていました。
1995年にはバスケットボール殿堂入りも果たしているんです。
また、レジー・ミラーが高校生の時、30得点オーバーを記録し喜んで両親に報告した際
同じ日にお姉さんのシェリルが105点を取っていたらしく
両親はレジー・ミラーの報告を聞いて、喜んでいるふりをするのが大変だったとの逸話もあります。
お姉さん。ハッキリ言って、すご過ぎです。
レジー・ミラーといえば、アウェイでブーイングを浴びせられれば浴びせられるほど
それを自分のパワーに変えて、数々の奇跡的な逆転劇を何度も演出したのを思い出します。
その中でも、今も伝説になっているのは、対ニューヨーク・ニックスの2試合で間違いないでしょう。
1つは、1994年のイースタン・カンファレンス決勝の第5戦。
アウェイでニックス相手に第4Qの12分間でなんと25得点!
1試合合計39得点を挙げる活躍でペイサーズが勝利!
ニックスの選手もこれにはため息しかでなかったでしょう。
そして、もう1つは1995年イースタン・カンファレンス準決勝第1戦。
またもや相手はニューヨーク・ニックス。
試合終了まで残り16.4秒で6点ビハインド。
この状況で、3Pポイント2本、フリースロー2本で8得点して107-105で逆転勝利!
このプレイは伝説です。
スティールから3ポイントラインまでドリブルで戻って
振り向きざまに3ポイントシュートを決めると言うミラクルショット!
このプレイは忘れられません。
また、1998年のイースタン・カンファレンス決勝。
対戦相手はジョーダンを要するシカゴ・ブルズ。
残り3秒で1点差でペイサーズが負けている状況で
レジー・ミラーはジョーダンのマークを振り切り、3ポイントを決め逆転勝利。
と、数えたらキリがないほどの試合を決定づける劇的なシュートを
何度も沈めてきています。
3ポイントシュートの成功数もNBA歴代2位。
記録もすごいですが、こんなに記憶に残るシューターはNBAでも数少ないと思う。