先日引退をしたスパーズのBIG3の一角出会ったマヌ・ジノビリ
引退時にはアルゼンチンを代表し、エリート集団であるスパーズの一員と大きな功績を残して引退をした。
だが彼ははじめからエリートだったわけではない。
想像出来るだろうか?
期待されずにドラフトされたジノビリを。
なぜ彼はスパーズのBIG3の立場となり優勝をすることが出来たのだろうか?
アルゼンチンが生んだ変態サウスポーマヌ・ジノビリ
ジノビリは2002年にスパーズでNBAデビューを果たした。
今では一流の選手だが指名はなんと
2巡目57位!!
ドラフト当時はティム・ダンカンなども
「そいつは誰だ?」
となっていたそう。
スパーズはジノビリを始めレナード15位、グリーン46位など上位ドラフトではないがNBAの舞台で活躍をするプレイヤーをドラフトで指名することが多い。
スカウトの目がよく、スパーズでの成長がいかにすごいかがわかる。
さて、本題のジノビリについて。
なんと、ルーキーシーズンでダンカン、パーカーらと共に優勝を果たしている。
更に2004年のアテネオリンピックではあのアメリカドリームチームを破り見事アルゼンチンを優勝へ導いているのだ!
1992年から現在までアメリカを破り優勝したのは、なんと、2004年のアルゼンチンだけなのである。
スパーズでのドラフトから優勝までの軌跡
スパーズに入団したルーキーシーズンにジノビリはNBA初の優勝を果たしたジノビリだが彼はNBAで合計4回!!
なんと4回も優勝をしているのだ。
2003,2005,2007,2014と連覇こそないが長い間強豪であるということがわかる。
HC(ヘッドコーチ)であるポポビッチの手腕、そして、スパーズのメンバーがプレーオフでの勝ち方を熟知していた結果だ。
4度の優勝はどれも輝かしいものだがジノビリが1番輝いたのは2005年の優勝だろう。
この年は初のオールスター、オリンピックMVPなどキャリアの中でも輝かしい時期である。
2005年の優勝では大黒柱のティム・ダンカンがMVPを受賞したがジノビリがMVPでもおかしくはなく、地元アルゼンチンでは数多くの不服が出ていた。
それほどにジノビリが活躍をしたシーズンであった。
針の穴を通すような美しいアシストと彼の変態的なプレイスタイルとは!?
輝かしいキャリアを送ってきた彼はどんなプレイスタイルなのだろうか!?
彼はペネトレイトからの得点を大きな武器としている。
ドリブルで切り込み得意のジノビリステップで相手を翻弄する!
ジノビリステップとはユーロステップのことだが彼の独自のリズム感によりジノビリステップなどと呼ばれている。
ファールを誘いながら得点を重ねるジノビリステップ
このジノビリステップ=ユーロステップは、ハーデンやウェイドなどの一流プレイヤーが模倣をするほどである。
また、ジノビリはノールックパスや相手の股を抜くアシストなどという目を見張るパスをしてきた。
このトリッキーな予測不能なプレーがスパーズに流れを呼び込み勝利へと繋がった試合がいったい何回あっただろうか?
2018年で引退をしてしまったジノビリ。
スパーズでは共に戦ってきたティム・ダンカンらと並び永久欠番になった。
ジノビリがNBAに残したものは大きく、今の選手達に受け継がれている。
ジノビリには兄弟がいる!?
アルゼンチン生まれのジノビリだが実は兄弟がいるのだ!
しかも、兄弟はアルゼンチンやヨーロッパリーグでプロとしてバスケをしている。
家族や兄弟が揃ってプロ選手という所は多いがジノビリもそのような家系に生まれていたのだ!
関連商品
【PS4】NBA 2K19(アマゾン)(楽天)(ヤフーショッピング)
NBA 2K19 – Switch(アマゾン)(楽天)(ヤフーショッピング)