2008年ファイナル、ロサンゼルス・レイカーズとの名門対決を見事制したボストン・セルティックス。
しかし、その優勝もケビン・ガーネット(本名 Kevin Maurice Garnett)無しには成し遂げられなかっただろう。
2016年に引退したが、一体彼はどんな選手だったのだろうか?
高卒で指名され当時最年少NBAプレイヤーへ
高校時代に数々の賞やタイトルを獲得したガーネットは将来を有望視される選手だった。
1995年当時、高卒でのドラフト指名は現実的ではなく、最後に高卒選手が指名されたのは1974年であった。
そのためガーネットは大学からドラフトに参加することを望んでいたが成績が足りず、高卒でのドラフト参加に挑戦することを決意する。
結果的に全体5位でミネソタに指名されるという快挙をなす。
若手ながらミネソタを引っ張る存在に
身体が細く当たり負けをしていたこともあり1年目はNBAの厳しさを知る結果となってしまったが、2年目には躍進しシーズン平均17.0得点8.0リバウンド3.1アシスト2.1ブロックを記録して最年少でオールスターに選ばれる。
1回戦負けとなってしまったが40勝42敗でチーム初のプレイオフ進出も決め順調かに思われた。
しかし3年目に当時では考えられないほどの巨額契約(6年総額1億2,600万ドル)結んでしまい、その後7年連続でプレイオフ1回戦敗退を喫したガーネットはプレッシャーを強く感じていた。
しかし8年目のシーズン、厳しい努力の末、彼はついにシーズンMVPを獲得しプレイオフもカンファレンスファイナルまで進んだ。
その後チームは補強などでうまくいかず低迷していき、2006-7シーズンを最後にガーネットは讃えられながらボストンへと移籍する。
ボストン1年目で念願の初優勝!
2007年にレイ・アレンと共にポール・ピアース率いるボストン・セルティックスへ渡ったケビン・ガーネットはビッグ3の要として活躍した。
3人はうまく噛み合い、特にディフェンスで力を12分に発揮したガーネットは最優秀選手賞を受賞、チーム自体も66勝16敗と驚異の数字を叩き出した。なんと前年は24勝だったと言うのだから驚きの強さである。
苦戦しつつもプレイオフを勝ち進み、ファイナルでロサンゼルス・レイカーズと当たり名門対決となった。
互角の勝負と思われたがボストンが第6戦でファイナルを制し、ガーネットは初の優勝を経験するのであった。
ガーネットの古巣復帰はミネソタをこれ以上ないほど盛り上げ、ドラフト当時から知るファンはミネソタでの引退に涙をするほど感動的な最後を飾るのであった。
意外にもサッカー好き?背番号の由来も関係?
高校時代からミネソタ時代まで背番号は21をつけていたが、これは大学で活躍していたマリック・シーリーに憧れてのものだった。
しかしボストンでは21がビル・シャーマンの永久欠番となっており付られなかった。
そのためサッカーのセンターバックがよく付ける5番をボストンでの背番号にした。
彼はイングランドのチェルシーFCのファンであり、またロサンゼルス・ギャラクシーの試合も度々観に行くほどのサッカーファンである。
巨額の横領被害にあっていた!?
ケンタッキーに拠点を構える会計士のマイケル・ウェルトヘイムと会計事務所の『Welenken CPA』に、7700万ドル(約85億円)もの大金を騙し取られたとして、ガーネットが提訴に踏み切ったと報じられた。
この横領事件には、ガーネットにとっては個人的な問題を相談する友人であり、資産管理を任せるほどの信頼を長年寄せた人物が共謀していたらしい。
若くして大金を稼ぎ出すNBAプレイヤー。
悪意ある連中が取り巻くケースも多々あるようだ。