
ロシア人選手として初のドラフト1巡目指名を受けたアンドレイ・キリレンコ。
彼は、NBA入り後すぐに、その才能は開花し、数々の記録を打ち立ててくれました。
今回は、そんなアンドレイ・キリレンコの現役時代、そして、引退後の事を書いてみようと思います。
1999年ロシアから海を渡りNBAプレイヤーになった
1999年のドラフトでユタ・ジャズから1巡目24位で指名を受けたアンドレイ・キリレンコ。
当時18歳のロシア人のプレイヤーでした。
当時、アメリカ以外のプレーヤーとしては史上最年少のドラフト指名選手となったのです。
ユタ・ジャズでNBAデビューを果たすし、そこから10年間活躍をしました。
決して、派手なプレイヤーではありませんでしたが、ディフェンスや、頭脳的なプレイを強みに、比較的長いキャリアを送りました。
2004年にはオールスター、2006年にはオールディフェンシブ1stチームにも選出されました。
さらには、2004-05シーズンには怪我で長期の欠場もありましたが、41試合で平均3.32ブロックを記録し、ブロック王を獲得。
ポジションがスモールフォワードであったにも関わらずブロック王を獲得したのは史上初でした。
また、1試合で
・得点
・リバウンド
・アシスト
・スティール
・ブロック
の5つのスタッツが5ポイント以上をマークする
「5×5」(ファイブ・バイ・ファイブ)
を3回達成しています。
これは、元ヒューストン・ロケッツのアキーム・オラジュワンの6回に次ぐ歴代2位の記録です。
さらにアンドレイ・キリレンコは、2006年1月のロサンゼルス・レイカーズ戦に
14得点、8リバウンド、9アシスト、6スティール、7ブロック
5部門で6ポイント以上を獲得する
「6×5」
をオーバータイムなしで史上唯一達成した選手なのです。
(アキーム・オラジュワンはオーバータイムのあった試合で達成)
ユタ・ジャズで10シーズンを過ごし、NBAがロックアウトにより開幕が遅れた2011-12シーズンに母国である、ロシアのCSKAモスクワでプレイをし、ユーロリーグの年間MVP、とベストディフェンダー賞を獲得しました。
その後、NBAに戻り、ミネソタ・ティンバーウルブズとブルックリン・ネッツでプレイし、2014年12月にフィラデルフィア・セブンティーシクサーズにトレードされたところでNBAを離れ、再度、母国ロシアのCSKAモスクワに戻り、2015年に現役引退を発表しました。
引退後の2016年3月、ユタ・ジャズのホームで功績を讃えられるセレモニーが開催されました。
この時の対戦相手はロサンゼルス・レイカーズでコービー・ブライアントからも温かい拍手を受けていました。
アンドレイ・キリレンコ第2のキャリアは?
引退後、1-2年のんびりとする選手も多いが、アンドレイ・キリレンコの第2のキャリアは引退直後からスタートしました。
NHLを40歳で引退した友人に
「引退したあとは、すぐに仕事したほうがいいぞ。休んでしまうと、その後腰が上がらなくなる」
とアドバイスを受けたのが理由だそうです。
ロシアのバスケットボール協会の会長選に出て、引退から3か月後には、ロシアのバスケットボール界を牽引する側になっていました。
しかしこの時のロシアバスケットボール協会はトラブルの渦中にありました。
前回の会長選挙で不正の疑いがあり、協会の運営が秩序を失っているとして、FIBAから資格停止処分を言い渡されました。
なんと、この2か月後には、リオオリンピック出場権がかかった欧州選手権を控えている大事な時期でした。
そこで、アンドレイ・キリレンコは
「このまま誰もが責任逃れをしているうちに事態は悪くなる一方だ。とにかくできるだけ早く会長選を正常化させることが、協会を軌道に乗せることにつながる」
こうコメントしました。
アンドレイ・キリレンコがトップになったことにより、FIBAからの信頼も回復し、ロシア代表は欧州選手権に出場ができました。
しかし、残念ながら、このゴタゴタの影響もあり、主力選手が辞退をし、残念ながら、リオオリンピックの出場はできませんでした。
しかし、2017年の欧州選手権では、4位と、復調の兆しは見えています。
母国バスケットボール復活をさせる事ができるか?
アンドレイ・キリレンコが代表に参加していた2000年代、バスケットボールロシア代表の最後の黄金時代でした。
欧州選手権では2007年に金メダル、2011年大会では銅メダルを獲得し、オリンピックにはシドニー、北京、ロンドンと3大会に出場しました。
また、2012年のロンドンオリンピックでは銅メダルも獲得しました。
もちろん、アンドレイ・キリレンコはロシアではスーパースターでした。
しかし、ロシア代表としても、変わらず、泥臭い仕事を率先してこなしチームを引っ張りました。
また、人間的にも非常に愛されており、持ち前の人徳は、ロシアのバスケットボールの顔である会長という現在の役割にはピッタリです。
「サンクトペテルブルクから来た少年が、NBAでオールスターに選ばれ、オリンピックでメダルも取れた。我ながら、けっこう頑張ったと思うよ。もちろん、マイケル・ジョーダンのような選手と比べたらちっぽけだけれど、バスケットボールで国を代表できたというのは、かけがえのないキャリアだったと思える。とても意義のあることだった」
ロシアから海を渡りNBAで挑戦したアンドレイ・キリレンコ。
これからも、母国ロシアのバスケットボールの発展のため、頑張っていくのだと思います。