ポートランドを最も沸かした男、クライド・ドレクスラーとは?息子「アダム・ドレクスラー」はBリーグでプレイ!?

多くのスラムダンカーがいる中でも、グライダーの滑空に例えられ

「クライド・ザ・グライド」

の異名を持つクライド・ドレクスラーは多くのファンをダンクで魅了した選手。

絶頂期は東のジョーダン、西のドレクスラーと言われ1992年NBAファイナルでは実際にジョーダンとマッチアップもしました。

そんな彼のプレイスタイルやキャリアについて今回はお話しします。

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高い身体能力を活かした派手なプレイを魅せる選手

ヒューストン大学時代からアキーム・オラジュワンと共に戦い、スラムダンクで会場を沸かし続けた。

1984年に全体14位でポートランド・トレイルブレイザーズに指名され、ルーキー時代こそ出場する機会が与えられなかったものの2年目以降は頭角を現しすぐさまチームの中核となった。

しかし彼のダンクの凄さはすでに評価されており、1年目からスラムダンクコンテストに出場。

その後4回スラムダンクコンテストに出場し、計5回も選出されるというNBA記録を持っている。

コンテストに優勝することはなかったが、それだけ選ばれてるのだから多くのファンを沸かしコンテスト優勝を望まれたことは言うまでもないだろう。

着実と成長するも順調とは言えなかったブレイザーズ時代

シーズンこそ勝率は優に5割を超え、ドレクスラー自身成績を残しオールスターやオールNBAチームにも選ばれるようになる。

しかしなかなかプレイオフ1回戦が突破できない。

そこに立ちはだかったのは大学時代からのライバル、マイケル・ジョーダンや大学時代のチームメイトのアキーム・オラジュワンら率いる強豪チームだった。

当時のNBAはまさに群雄割拠の時代にあり各チームに優勝を目指す猛者たちがいた。

ついにたどり着いた1990年ファイナルでも前年優勝チームの “バッドボーイズ” 、デトロイト・ピストンズが立ちはだかり優勝には至らなかった。

念願の優勝を果たすロケッツ時代

1992年ドリームチームの一員としてバルセロナオリンピックに出場し見事金メダルを獲得。

しかし、ドレクスラーには、まだやり残した事があった。

それはNBAのチャンピオンリングの獲得

優勝を目指しつつも最盛期を過ぎたドレクスラーはチャンピオンリングを求め、1995年に大学時代のチームメイト「アキーム・オラジュワン」率いる地元ヒューストン・ロケッツへ移籍することになる。

シーズンの成績もそこそこに第6シードから始まるプレイオフだったが、順調に勝ち上がったロケッツはファイナルでアンファニー・ハーダウェイやシャキール・オニールを擁するオーランド・マジックと対戦。

見事スウィープで倒しドレクスラーは念願の初優勝を手にするのであった。

翌シーズンに彼は通算20,000得点を達成し、NBA創立50周年記念の「50人の偉大な選手」にも選ばれている。

 

息子「アダム・ドレクスラー」はB2リーグ岩手でプレイしていた!

クライド・ドレクスラーの息子「アダム・ドレクスラー」はなんと、2016-17シーズンは、B2リーグ(現在B3)の岩手ビッグブルズでプレイしていたようです。

 

その後、2018シーズンは、B3リーグの岐阜スゥープスでプレイしていたようです。

日本で頑張ってくれていたんですね。

 

【文:Kenshin】

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