NBAでプレイした期間こそ短かったが、強烈なインパクトを残した、セルビア出身のミロシュ・テオドシッチ。
ヨーロッパで13年のプロキャリア、ユーロリーグ優勝、リオ五輪やワールドカップでの銀メダル獲得、FIBA年間最優秀ヨーロッパ人選手賞など、チームでも個人でも、数々の栄光を手にしたベテランプレイヤーです。
そして、彼は、30歳にしてNBAに挑戦しました。
果たしてこの挑戦は遅すぎたのでしょうか?
NBA挑戦は2017年
ミロシュ・テオドシッチは6年間在籍したCSKAモスクワとの契約が満了した2017年夏にロサンゼルス・クリッパーズに入団しNBA入をします。
この時期の、クリッパーズは、クリス・ポールがヒューストン・ロケッツに移籍したタイミングだったのもあり、非常に期待をしての契約だったと思います。
また、ミロシュ・デオドシッチのクリッパーズ入団が決まったあと、
ケビン・デュラントが
前年のリオ五輪の決勝で対戦していたケビン・デュラントは
テオドシッチをNBAで見られるのをずっと楽しみにしていたんだ。
去年対戦した時(リオ五輪の決勝)
「俺のバスケ人生でこんなのは1度も見たことがない!」
というパスを見せてもらったからね。
チームUSAのみんなも
「いったいどうやったらあんなパスができるんだ!?」
って目を丸くしていたよ
とコメントをしました。
また、2016年の開幕前には、NBAのGMたちが選ぶ
NBA所属以外の欧州最高の選手
にも選出され、NBA入りする前から、アメリカでも注目を集めていたようです。
要するに望まれてNBA入りをしたのです。
即戦力!しかし故障に苦しむ場面も・・・
プレシーズンマッチのトロント・ラプターズ戦にミロシュ・デオドシッチは、出場します。
ベンチスタートでしたが、約25分プレイし、8アシストを記録します。
まだ、チームメイトの持ち味も十分に把握していない段階で、ミロシュ・デオドシッチは、チームメイトを活かすプレイを披露し、ファンやメディアの期待は高まりました。
開幕戦で公式戦デビューを飾り、悲劇は2試合目でした。
足を痛め、約1か月半離脱する事態に陥ってしまいます。
復帰後も怪我の影響は隠しきれませんでしたが、それでも45試合に出場します。
36戦でスターターを務め、平均9.5点、4.6アシスト、3ポイント成功率は37.9%と、コンディションが悪いにも関わらず、十分なスタッツを残します。
なにより、ロサンゼルス・クリッパーズは、この年の成績が42勝40敗でした。
しかし、ミロシュ・デオドシッチが出場した45試合の成績を見ると、29勝16敗と白星が上回っていましたので、しっかりとチームに貢献していたと考えられます。
また、ミロシュ・デオドシッチのノールックパスはトリッキーすぎ味方の選手のターンオーバーを誘発してしまうこともありました。
しかし、若手選手にとっては、これが良かったのか、結果、チームは、ミロシュ・デオドシッチのパスワークに合わせて動くことにより、レベルアップに繋がったと思います。
弱点はディフェンス
しかし、ミロシュ・デオドシッチにも弱点がありました。
ディフェンスです。
そもそもヨーロッパでプレイしていた時から言われていたことなのですが、相手のポイントガードとマッチアップしても得点を許してしまうことが多かったようです。
ヨーロッパでも弱点と言われていたのですから、NBAの選手相手になると、さらにその弱点は目立ちます。
試合終盤に、ここ一番での場面で、コート上に立たせるのはリスクがあります。
しかし、ミロシュ・デオドシッチは勝負がかかった終盤ほど気合が乗ってくる傾向があったようで、ドック・リバースHCは頭を悩ませたいたようです。
また、プレイにムラもありました。
しかし、国際舞台などの大舞台には強く、オフェンスでは、キレキレのプレイを見せてくれていました。
短かったNBAでのプレイ期間
NBA2シーズン目は、 本人は足の怪我は問題ないとコメントをしていたようですが、パトリック・ベバリーやルーキーのシェイ・ギルジャス・アレキサンダーを筆頭に多くのガード陣がロースターに名を連ねた中で、プレータイムが減ってしまいます。
出場した試合でも1年目に活躍ができず、開幕直後の11月の時点でセルビアのメディアに
トライしてみて、NBAがどんなものかわかった。
そして、自分にはヨーロッパでプレーする方が楽しいとわかった。
だから今シーズン中か、終わった後にはヨーロッパに戻る
とコメントをしました。
結局はレギュラーシーズン15試合に出場したのみで、2月に退団をし、わずか1年半と言う短いNBA生活を終えてしまいました。
結果的に、短命で終わったしまったため、彼のNBA挑戦について、年齢や怪我の問題、また、スピードやパワーが劣るために本人も限界を感じていたなど、色々と言われていたようです。
30歳でNBA挑戦は遅かったのか?
ロシュ・デオドシッチはのちにインタビューで、25歳でサクラメント・キングス入りした同じセルビア出身のボグダン・ボグダノビッチを例に挙げ
ヨーロッパですでにある程度のキャリアを築き、自信も備わっていることがとても重要になる。
ボグダンのように24、25歳頃に挑戦するのが理想的だと思う
自分は少し遅すぎた。
ただ、後々
「やっておけばよかった」
と後悔したくなかった。
NBAがどんなところか、実際に自分で見てみたかった。
どのように機能しているのか、選手たちはどういった練習をして、どんなバスケットボールをやっているのか。
実際それはヨーロッパとは完全に別物で、プレーしているバスケットボールはまったく違うものだった。
それを実際に体験できたのは、素晴らしい経験だったよ
とコメントをしています。
そして、現在は、イタリアで15回の国内リーグ優勝を誇るボローニャでプレーを続けているようです。
NBA挑戦が遅かったのか?
と言われると、それが正解でもない気がします。
本人が挑戦をしたいと思った時が、挑戦のタイミングだと思います。
NBAでプレイした期間は短かったですが、彼にとっては、最高のチャレンジとなったと思います。