夢を掴んだプレイヤー「スコッティ・ピッペン」






 

ジョーダンと共に、シカゴ・ブルズの中心選手として90年代6度の優勝に貢献したプレイヤー。
スコッティ・ピッペン
攻守にわたりバランスの取れたオールラウンダーであり、史上最高のスモールフォワードの1人とも言われた。

 

 

Chicago Bulls Scottie Pippen 1995

 

 

確かに90年代のシカゴ・ブルズは強かった。
ジョーダンはすごかった。

 

 

ただし、ピッペン抜きでは、この6回の優勝の実現はできなかっただろう。

 

 

主役=ジョーダンと言うスタープレイヤーがいる中で、ジョーダンをしっかり支える
「史上最強の脇役」
それこそがピッペンだと思う。

 

また、ピッペンがいたからこそ、ジョーダンが活きたと言っても過言ではないと思っている。

 





 


最高のツーショットだ。

 

 

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ピッペンは最高のスモールフォワードだった。

 

ただ、ジョーダンとのバランスが絶妙に良かったのだと思う。

 

 

ジョーダンをマークすれば、ピッペンからやられる、ピッペンを気にしているとジョーダンからやられる。

ブルズでの2人の関係性は本当に最高だったと思う。

 

 

1992年のバルセロナオリンピックにもドリームチームの一員として出場している。

 



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もちろん、下記のゲームにもドリームチームの一員として出ているぞ。


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ピッペンは、12人兄弟の末っ子として生まれ。兄たちとともに幼少期からバスケットボールをプレイしたらしい。
父親は製紙工場の従業員だったが、貧しい黒人家庭で大家族な上に高校進学の頃に父親が脳出血で倒れて全身が麻痺し、兄弟も2人が病気で亡くなるなど、生活は不幸と困窮を極めていたとの事だ。

 

 

要するに貧困な家庭だったと言う事だ。

 

 

働けなくなった父親に代わって家族全員が働き、アルバイトをして食いつなぐ生活だったが、ピッペンは末っ子だったためかろうじて高校に入学することはできたらしい。

 

 

しかし様々なアルバイトを続ける一方でほとんどまともな食事をとったことはなく、当時は体格も小さくてやせ細った少年だったらしい。

 

 

バスケットボールで初めてレギュラーになったのは高校のとき。
当時は身長は175cm、体重は70kgくらいしかなく、ガリガリに痩せていたらしい。

 

 

当時、ポイントガードとしてプレイしていたことが、後の、視野の広さや、ジョーダンと言うスタープレイヤーを活かす技術に結びついたんだろう。

 

 

高校卒業後、NCAA所属の大学からはどこも勧誘を受けなかった。
何とか奨学金で、大学に通い、ただし奨学金だけで生活するのは難しく、当時もバイト等していたらしい。

 

 

大学に入り、身長も15センチほど伸び、体重も30キロほど増え、200センチ、100キロ近い体格になり、やっとプレイヤーとしての体格ができてきた。
すると、その才能が開花したらしい。

 

 

ただ、大学と所属リーグがマイナーだったためプロから注目されることはなかった。

 

 

彼自しかしながら大学の監督やプロのスカウトらの働きかけもあってシカゴ・ブルズの目にとまり、1987年のNBAドラフトで指名されNBA入り。
ただし、誰?と言う声も多々あったと思う。

 

 

 

 

ジョーダンはピッペンと出会って

「やっと自分と同じくらい才能のある選手が入ってきた」

と感じたという。

 

 






 

 

また、後にチームメイトになるデニス・ロッドマンも当時からすでに
「あいつはいずれ史上最高のフォワードの一人になるだろう」
とその才能を見抜いていたらしい。

 

 

貧困から、スタープレイヤーへ。

 

 

まさにアメリカンドリームをかなえたプレイヤーの1人である。