ジミー・バトラーの背番号の歴史を振り返る

背番号は選手のもう1つの顔だったりメッセージだったりします。

それがが故に、背番号にこだわりを持っている選手が大多数です。

 

そんな中、ジミー・バトラーは背番号を変え続けています。

変更するのにも理由があります。

 

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ジミー・バトラーの紹介

2011年ドラフトでシカゴ・ブルズから1巡目30位指名を受けNBA入り。

とてもディフェンスの良い選手で、順調にチームの主力へと成長します。

2014-15シーズンには平均20.0点、5.8リバウンド、3.3アシスト、1.75スティールを記録しMIP(最も成長した選手)を獲得しました。

 

 

ジミー・バトラー背番号の歴史

2011-2017 シカゴ・ブルズ 

2017-2018 ミネソタ・ティンバーウルブズ

2018-2019 フィラデルフィア・セブンティシクサーズ

2019-  マイアミ・ヒート

 

写真の通り、シカゴ・ブルズ時代は21番、ミネソタ・ティンバーウルブズとフィラデルフィア・セブンティシクサーズでは23番、そしてマイアミ・ヒートでは22番を着用しています。

この背番号変更には、理由があったのです。

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背番号変更の理由

ジミー・バトラーは大学時代は33番、高校では1番を着用していました。

1番着用の理由は、親友である、トレイシー・マグレディの影響とのこと。

 

大学時代に33番に変更したのは、ジミー・バトラーの母親がラリー・バードの大ファンだったからとのこと。

シカゴ・ブルズで21番を選んだ理由は

ドラフトされた時に21歳だったから。

 

その後、ミネソタ・ティンバーウルブスに移籍した際に23番へと変更をしたのですが、その理由は

シューズ契約とブランドの関わるもの。

ジョーダンブランドと契約をしていたのと、シカゴを離れると言う事もあり、23番を選択したようです。

 

そして、マイアミ・ヒートにトレードされ、今度は22番へと変更します。

この理由は、タージ・ギブソンから、ものすごく多くの事を学んだからとのこと。

リスペクトし、影響を受けた選手の背番号を選んだって形ですね。

 

タージ・ギブソンは、シカゴ・ブルズで約8年、そして、2016-17シーズン途中でオクラホマシティ・サンダーに加入をしプレイ。

どちらもチームでも22番を着用していました。

タージ・ギブソンがジミー・バトラーにプロとしての心構えを教え、影響を与えた選手なんですね。

 

このように、ジミー・バトラーが背番号を変更を続けているのには理由がありました。

 

NBAや、その人の歴史に選手の背番号の意味が隠されているんです。

 

ジミー・バトラーはオフィシャルYouTubeチャンネルもやっているので、そちらもチェックです。

ジミー・バトラーオフィシャルYouTubeチャンネル

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