最優秀守備選手賞(NBA Defensive Player of the Year Award)が採用された1982-83シーズン以降過去36年間の受賞者の中で
唯一純粋なポイントガードとして選出された選手がいる。
ゲイリー・ペイトン
オクラホマシティ・サンダーへチーム名が変わる前のシアトル・スーパーソニックスで主に活躍した選手である。
今回は攻守ともに長けた歴代最高選手の1人であるゲイリー・ペイトンを紹介する。
ルーキーから先発として活躍しソニックスのエースガードへ
1990年ドラフトでソニックスから全体2位指名を受けたペイトンは、1年目からシーズン82試合全てで先発を務め平均7.2得点6.4アシスト2.0スティールと活躍。
彼への信頼は厚く、ソニックスにいた11年で947試合に出場し、ベンチスタートはたったの6試合だったんです。
11年間シアトル・スーパーソニックスの中心選手であり「顔」だったのがよく分かると思います。
攻守両面でリーグ最高のプレイをするようになった全盛期
ディフェンスに定評があったペイトンのソニックス時代の平均スティールはなんと2.3を記録している。
1995-96シーズンには平均2.9スティールでスティール王に加え、ポイントガードとしてはリーグ唯一の最優秀守備選手賞に選ばれた。
また3年目以降はオフェンス面で得点とアシストを量産するようになり、1999-2000シーズンではキャリアハイの平均24.2得点、2001-2002シーズンでは同じくキャリアハイの平均9.0アシストを記録している。
2006年にヒートで初優勝を経験
ペイトンがいたソニックスは強豪と呼ばれたが、プレイオフではその強さを発揮できなかったんです。
唯一ファイナルまで進んだ1995-96シーズンは64勝18敗の好成績だったが、ジョーダン率いるブルズ黄金期相手に2勝4敗で惜しくも優勝を逃します。
その後バックスへ放出され、後に優勝を狙いレイカーズに移籍するもファイナルでピストンズ相手にまたも優勝を逃してしまうんです。
しかし、ホークス、セルティックスを経由した後のヒートでついにその時が訪れる。
ウェイドに加えてペイトン、シャック、アロンゾ・モーニングらベテランが集まったヒートはファイナルでマーベリックスと激突。
2-0とマーベリックスがリードしたかと思えばヒートが3連勝し、2-3とヒートが有利な状況での第6戦。
スコアが95-92という大接戦の末ヒートが勝利し、ペイトンはついに初優勝を手に入れた。
その後1年間ヒートでプレイした後にフリーエージェントとなり、再契約することなく引退。
有終の美を飾ったと言っても良い感動的な結末で自身のNBAキャリアに幕を閉じた。
コート外では子供たちの慈善活動を行う良いパパ
三男一女を持つペイトンは子供たちに対する慈善活動に取り組んでおり
「ゲイリー・ペイトン基金」
を立ち上げるほどの良きパパである。
また現在ではNBAのコメンテーターなどでテレビにもよく出演しており、お気に入りの選手はアデクトンボとウエストブルックとも述べている。
現役時代最高のポイントガードと呼ばれたこの選手は、バスケットボール、家族、子供たちを愛する最高の人物になっていたんですね。
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