病気を乗り越え優勝を手にしたアロンゾ・モーニング。着用バッシュは?プレイスタイルは?

オールスター出場7回、最優秀守備選手賞2回、ブロック王、2006年NBAチャンピオン、そして殿堂入り。

知る人ぞ知る名センターのアロンゾ・モーニング。

彼は腎臓疾患が判明し一度は引退するもそれを乗り越えNBAチャンピオンに輝き、殿堂入りも果たしている。

今回はそんな彼について紹介する。

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強靭な肉体と精神を持ち合わせたセンター

身長208cmとセンターとしては若干低めの身長ながら、それを感じさせないほどのゴール下の支配力と存在感を見せつけていた。

筋肉隆々な肉体を存分に使い誰にも当たり負けしない身体と闘争心に溢れるメンタルを持ち、同じ年のドラフトで1位指名された218cmのシャキール・オニールとも対等に渡り合った。(モーニングは2位指名)

ゴール下で激しいダンクを叩き込む姿や相手のシュートをブロックで阻止する姿は怪力そのものだ。

無敵と言われたフィジカルプレイで周囲を圧倒した全盛期

ホーネッツでのルーキーイヤーから78試合全て先発で出場し、シーズン平均21得点10.3リバウンド3.5ブロックを記録し新人王候補だったが惜しくもシャキール・オニールが選ばれてしまった。

その後のシーズンも平均20得点前後記録し続け、3年ホーネッツでプレイした後に移籍したマイアミ・ヒートではティム・ハーダウェイと共にNBAを沸かしてきた。

1998-1999にブロック王(3.91)に選ばれ、同年と翌年の2シーズン連続で最優秀守備選手賞にも輝き、2000年のシドニーオリンピックでは金メダルを獲得し順風満帆のキャリアであった。

そんな彼に悲劇が訪れてしまう。

 

腎臓疾患の発覚と引退

オリンピック後に彼に告げられた事実はとても残酷なものだった。

巣状糸球体硬化症という腎臓疾患を持っていることが判明してしまったのである。

2000-2001シーズンは移植手術を行い、それでもシーズン残り13試合は出場する。

翌シーズンも75試合に出場するという強靭な肉体ぶりを発揮したがそれでも状態は良くなく、シーズン終了後に引退を表明した。

 

引退から1年。モーニングの奇跡の復活

引退から1年。NBAでのキャリアを諦めきれず、彼はコートに立っていた。

2003年にネッツと契約したモーニングは調子が戻らず多くの試合に出場ができずにいたが、2004年にトロントを経由してかつて栄光を見たマイアミ・ヒートへ復帰した。

マイアミ・ヒートで念願の優勝へ

同期でライバルだったシャキール・オニールの控えセンターとして加入したオニールはすでに34歳となっていたが、それでもゴール下での存在感は衰えていなかった。

2004-5シーズンは19試合のみの出場になったものの、翌シーズンは65試合に出場をし平均20分の出場で7.8得点5.5リバウンド2.7ブロックを記録し、ウェイド主体のチームとなっていたヒートの控えとしては十分活躍したと言えるスタッツだ。

特に以前より衰えた機動力をカバーしたディフェンスでの貢献度は素晴らしかった。

ヒートは着実にファイナルへと駒を進め、ダーク・ノビツキーを筆頭にウェスタンカンファレンス1位のスパーズを破ったダラス・マーベリックスと対戦する。

最初の2戦こそ落としたものの、その後4連勝し優勝に輝いたのだ。

モーニング自身ファイナル最終戦で5ブロックを記録してチームに貢献し、念願だった初優勝を手にした。

その後チームは低迷し、2007年にモーニングは右ひざ脚蓋腱を断裂してしまい引退を表明。

翌年に引退セレモニーが行われた。

彼は涙を流しながら自分に関わった全ての人に感謝を意を表し、キャリアの終わりを告げた。

彼の背番号33はマイアミ・ヒート初の永久欠番となっている。

アロンゾ・モーニングは熱い!

アロンゾ・モーニングは選手としては、熱く、力強く、頼もしいです。

しかし、接触の多いインサイドプレイヤー。

相手とのいざこざも多くデニス・ロドマンとは何度もやりあっています。

ニューヨーク・ニックスとのプレーオフで元チームメイトのラリー・ジョンソンとの乱闘騒ぎが特に有名です。

ニックスのヘッドコーチが、この乱闘を身体を張って止めようとしているのですが、選手達に比べたらかなり体が小さくモーニングの足にしがみついているのが印象的です。

並の人間だったら大怪我です。

アロンゾ・モーニング着用バッシュは?

アロンゾ・モーニングにはシグネチャーモデルのバッシュがありました。

 

その名も「AIR ALONZO」

 

残念ながら復刻されたりしていないようなので、新品にはもうお目にかかれそうにありません・・・

 

【文:Kenshin】

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